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終章 神剣
穏やかな延平津を眺める。
そうだ、父の話をしているところだった。
中華では長い間、干将剣も莫耶剣も失われた。
発見された剣のうち、張華殿に一振りの剣だけを送った父に尋ねる者がいたのだ。
「張華殿は先生に剣を探させるために県令に任命したのでしょう? 一振りしか送らないのは不義理ではないのでしょうか?」
「これでよいのだよ。この二振りの剣は中華に覇をなしてすでに役目を終え、天に帰りたがっていた。二振りを一緒に置くとすぐにでも帰ってしまうだろう」
張華先生は当時大変なお立場にあった。
武帝が崩じられ恵帝が即位され、中央に戻られたときなのだ。そして世には再び戦乱が訪れようとしていた。
「だからその身をお守りするため、一振りだけお送りしたのだ。もし張華先生がお亡くなりになった時には私に残した剣もお供えして天に返そうと思う」
実際に張華は政権の中枢で政変に巻き込まれ、危うい立場にいたそうだ。その人は父に重ねて尋ねた。
「亡くなられてしまえばもう無用でしょう」
「それは違う。この剣は張華先生のものだ。呉の季札と徐君の故事のように、人と人の繋がりというものは、その人が亡くなったかどうかは関係ない。その心に従うのが正しい行いというものだ。それに……これは神剣だ。本当の神剣というものは人の手に残るものではなく、いずれ姿を変えて去りゆくものでもある」
つまるところ、父が述べたかったのは、神剣というものは天に属するものであり、その持つべき人に正しく収まらなければならないということだ。
その後も張華と父は親しく文や研磨土のやりとりを行った。その後政争の果に張華が処刑されると、張華が有した剣の所在はいずこともなく失われた。
父は一度は季札のように手元に残る剣を張華の墓に供えようとした。けれどもその際、剣が瞬いたように感じたそうだ。
これは神剣だ。どこにあっても世を変えてゆく。そして持つべき人はすでに失われたのだ。それであればあるがまま天に委ねるのがよいだろう。
父はそう考え、剣を手元に置くことにしたそうだ。
その父も亡くなり、今は私がその剣を受け継いだ。
剣は日増しに光を失っていった。神剣はその所在を自ら選ぶ。父が所有していた頃は鞘からも光が溢れるような様子だったのに、私が持つ今では普通の剣と変わらなかった。
そして今日、不相応な私の手元を離れてこの川の底に沈んでいた片割れと一緒にようやく天へ帰っていったというわけさ。思えば世も落ち着いてきたのだ。
そこまで話して茶を傾けて見渡すと、いつのまにか人が集まり、私の話に耳を傾けていた。潜水の駄賃をはずむと人夫は喜び、酒を買って私の隣で飲んでいた。
「珍しいこともあるもんですね。そんなに凄い剣だったんだなぁ。勿体ねぇなぁ」
「そうだな、だがやはり人の手に負えるものではなかったのだろうよ。残念だがこれも天のご意志だ。私には剣を持つ資格がなかった」
「そういうもんですかねぇ。お役人様ってだけで立派だと思うのにな」
人のいい人夫は延平から出たことがないのだろう。まだ若い。呉が滅び国が統一される前のことは思いもしないのだろう。
この剣は戦国の時代に覇道を求めて作られた。そして始皇帝によって中華は統一され、その後もずっとこの地に止め置かれた。さぞ天に戻りたかったことだろう。
「それじゃぁお役人様。お役人様の持っていた剣はさぞ名のある剣だったんでしょうね?」
「そうなんだ。私が持っていたのは干将という剣で、川底に沈んでいたのは莫邪だろう。神の剣だ」
了
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