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1章 呉の趨勢と神剣の求め
我が師干将は呉王闔閭の前で深く頭を垂れていた。
絢爛たる謁見の間。王の左右には名将伍子胥と孫武を始め、群臣が居並び戦の気配が色濃く漂っている。王闔閭は後の世では春秋五覇、つまりこの時代の覇者の一人と言われる英雄王である。そして今まさに覇道を進むべく、中華の南一帯に広大な版図を広げる楚国に攻め入ろうとしていた。
故に、この広間は既に戦場だった。
「神剣を作れ」
その命はただ、一言に過ぎなかった。けれども闔閭王の口から厳かに放たれた声こそが剣に等しい。
「恐れながら申し上げます。神剣とはどのようなものとお考えでしょうか」
この場を支配する戦の気配をものともせず、師はそう発する。
無礼な、と群臣の怒号が飛ぶが、師は動じない。その問いは刀匠として当然だからだ。
神剣とは神の剣。人の身で神を下ろす。だからこれは神問わすべきことだ。
王が本当に『神の剣』を求めているのか否か。
「神代では玉で武器を作り樹木で宮を建てた。禹は銅で武器を作り、伊水を開拓しその王朝の礎とした。今、この地こそが新しき神具、鉄の剣の生まれし場所であり、神はこの地にこそ宿る。朕は魚腸を得て王となった。故に、朕は神の導きを以て覇道を進む。神剣を作れ」
師は床に頭を打ち付けた。
神代で世界を切り開いた石は銅に移り変わり、今や鉄の時代が来る。これまで悪金と呼ばれた鉄こそが、これからの時代を切り開く礎となる。
神々は様々な形で世に現れ、人を導く。時は満ちた。王は既にこの地には神の恵みが満ち溢れ、師にそれを形にせよと命じられたのだ。
幾ばくかの静寂の後、既に王の姿はなかった。王は正しく師に命じ、師は正しく承った。
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