1章 呉の趨勢と神剣の求め

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 そこから、私たちの生活は一変した。  師は神を作らねばならないのだ。その命は重大だ。  だからまず、全てを捨てることから始まった。他のことにかかずらう余裕など無い。師は既にこの中華に名を馳せ、大きな工房と多くの弟子を抱えていた。けれどもそれらを全て弟子にまかせ、捨てたのだ。  多くの弟子は師の出立を惜しんだが、師は一度も振り返ることなく、遥かなる旅に出た。  旅団の一人目は当然ながら師干将だ。  真面目で実直な尊敬すべき師である。ぱっと見はどこにでもいそうな壮年にしか見えないが、工房で槌を振るう際にはその肩から背中に掛けての筋肉が隆々と山のように盛り上がり、その眼光は別人のように鋭く且つ恐ろしく光る。  そして二人目は師干将の最も信頼する刀匠であり奥方、そして私のもう一人の師である師莫邪(ばくや)だ。少し赤みのかかった縮れた頭髪をまとめ上げ、スラリとした体躯に発達した背筋を乗せて大鎚を振るう様は美しい。  三人目はお二人のお子のまだ小さい(せき)殿。利発さと愛嬌を兼ね備えたお子だ。  それから、望外にも多くの弟子の中から私のみが同行を許された。とはいえ私は未熟で、剣を打つ腕はない。そもそも赤子のころ師らの工房の前に捨てられていた私は、育つにつれて師らの家事とその子である赤殿の世話を任されており、工場に入ることもほとんどなかった。畢竟、ただの召使いとしての同行だろう。そうは思っても否が応でも心は高鳴る。  なにせ神剣を打つ姿を間近で見ることができるのだ。師らの家で育つうち、その話題に当然のように頻出する刀剣、特に神剣というものは私にとって特別なものになっていた。  とはいえすぐに打ち始められるものではなかった。  師らがまず求めたのは材料だ。  刀の材料は当然土と岩である。茫漠たる野を進み、峻厳たる山を登る。風は刃のように私の頬を打ち、その昼の高度の熱射は私の皮膚を焼き、夜の極寒は身を凍らせた。そそり立つ崖を踏みしめ、高所に登れば登るほど思わず息が切れる。私にはその道なき道の果てに何があるのかわからず、疲労は蓄積した。 「師よ、このさきに神剣となる鉄があるのですか?」 「ああ。私は私の師欧冶子(おうやし)から、この世の貴石について伺ったことがある」  欧冶子という名から先日の王との会談の様子が思い浮かぶ。 「師よ、魚腸剣は師と欧冶子様が鍛えた剣なのですよね。その時も特別な石を用意したのでしょうか」
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