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「そうだな。欧冶子は莫邪の父だ。欧冶子のもとで修行をするとき、莫邪に出会ったのだ。とても厳しい方だった」
師は懐かしむように目を細めた。
闔閭王を王たらしめた魚腸剣は宝剣たる短剣だ。
先王は王の直子である闔閭王ではなく、従兄弟の僚を後継とした。闔閭王はもとより野心あふれる男で憤懣やるかたなく、王位を狙う決意を胸に秘めた。当然ながら僚はその姿を警戒し、その前に出る者には寸鉄をも帯びさせなかった。つまり、闔閭王が武で王位を取り返そうとも、その機会がなかったのだ。
そこで闔閭王は宴を開き、魚の口の中に短剣を仕込ませた。そして刺客専諸がその盆を持ち僚に近づき、至近で刺突し僚を葬った。専諸もその場で切られたが、このようにして闔閭王は王となったのである。まさに剣が闔閭王の運命を変えたのだ。
古来より武器は単なる殺戮器具というだけでなく、神が王を定める象徴である。そして今、闔閭王はその治める呉の命運を、そして中華の趨勢を変えようとしている。
「着いたぞ」
師の声にふと目を上げると、ビュウと一際強い風が吹き渡り、景色が唐突に開けて僅かに白い雲がかかる青々とした山が広がった。背筋を伸ばすと肩に荷がズシリと重くのしかかり、思わず呻きが漏れる。けれどもそれは二人の師も同じだ。莫邪師は女性のはずだが私以上の荷を背負うのに、その背は凛々しい。そして風がその長い髪を美しく吹き流していく。私だけが無様にハァハァと荒く息を吐く。
「どうしてお二人はちっとも息が乱れぬのですか」
「はは、日頃の鍛え方の違いだな」
「そうそう。槌を振るえば筋肉なんて嫌でもついてくるわ。なんなら持ってあげようか?」
「お断りします!」
流石に師にこれ以上の荷を任せることはできない。我が身を恥じた。
「兄上、きっともう少しで着きますから」
声に見下ろすと、岩山を赤が飛び跳ねていた。まだ幼い赤は元気いっぱいだ。荷物こそ持たぬとはいえ、父母である師らから譲りうけた健脚なのだろう。我が身の不明を恥じた。
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