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「普通、偽名の名刺なんて持たないだろ」
高橋さんはねちねちと続ける。
「お前らさぁ、妙に用心深いというか、そういう態度が社内でも不気味がられてるの、知ってるか?
クリスチャンはいるわ、急にお経を唱えだす奴がいるわ……どうかしてるよ。まともなのは神崎ちゃんくらいだな」
高橋さんはうちで唯一の女性記者の名前を上げた。
僕は神崎さんもまともじゃないことを知っている。「彼女、バッグの中にお札ぎっしり入れてますよ。今朝も僕、一枚持たされたんですけど」と教えてあげようかと思ったがやめておいた。
「さっきも、もっとあのおばさんに話聞きたかったのに」
「……あそこはやめた方がいいと思いますよ」とつぶやいたが高橋さんはどこ吹く風だ。
「やる気ねぇなぁ。もうちょっと取材の裏をとるとか、調べてから細かく記事にした方がいいだろ」
「うちは『怪談話』ですから。怖い雰囲気だけ提供できればいいんですよ」
――それにあのおばさんから一刻も早く離れたかったんです。
そう言えずに僕は頬の冷や汗をぬぐう。早く入り口に戻りたい。
「そうだ、思いついた。怪談系UTuberとコラボするってのはどうだ?
特集記事をドカンと上げるんだよ。若くて可愛い子がおびえる様子とか、ウケるんじゃないか? スタイルいい子を選んで、ついでにグラビアとかインタビューもつけてさ」
「そういうのはうちではちょっと……」
「なんだよ、ノリ悪いな」と後ろから舌打ちが聞こえた。
僕はスマホを取り出し、ライトをつける。少し住宅地から離れただけなのに圏外だ。見上げると、木々の影が濃くなってきた。空も薄紫色になっている。
「世の中には触れないほうがいいものがあります。あれはそういう類です」
高橋さんはなおもブツブツ言っている。
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