引き返す

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「やっと着きましたね」  下り道は終わり、見覚えのある看板が見えた。外灯の弱い光が丸く地面を照らしている。時計を見ると18時を過ぎていた。会社に戻るか、直帰するか……ぼんやり考えている時、「あ!」と高橋さんが声をあげた。 「どうしました?」 「名刺入れがない……くっそ、さっきの場所だ」  僕は山を見上げる。もう日も暮れて、黒いシルエットが不気味だ。警告のようにカア、カアとカラスの鳴き声がする。 「もう暗いですよ、明日にしたら……」 「明日は朝から木下先生の視察に同行するんだ。名刺がないんじゃ話にならない」  高橋さんは議員の名前を挙げた。裏金疑惑のある議員だ。もちろんうちの仕事ではない。  高橋さんはスマホのライトをつけた。 「また登るんですか?」 「そんな時間かかんないだろ。それに、さっきのおばさんが落とし物に気づいて、下ってきてるかもしれない」 「高橋さん」 「先帰ってろ」  高橋さんはずんずんと、遊歩道を登っていく。  やがて曲がったのか、木々の影にまぎれてスマホの光も見えなくなった。  僕は外灯の下で待っていた。スマホを見ながら、時間をつぶした。  もう一度登るのは手間だし、かといってうちの部署では新人同然の高橋さんを置いてこのまま帰るのも気が引けた。  二十分が経った。  高橋さんのスマホを鳴らした。これで何度目だろう。山の中は圏外だったと思い直して、またしまう。
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