あの川のうわさ

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 夕方には帰ってきなさいよ、という母の声を振り払うように玄関を飛び出すと、水色のワンピースに着替えた遥ちゃんが、すでに家の前に立っていた。  赤色のマウンテンバイクの前かごに、釣り竿一本と、網を二本を挿しこんだ。遥ちゃんは自転車を持っていなかったので、自転車を押しながら彼女の横を歩いた。  家から数分歩くと、住宅街の中、今にも二階建ての一軒家に挟みつぶされそうな、小さく古びた平屋が見えた。遥ちゃんの家だ。  どんどんと近づくにつれ、今まで楽しそうに話していた遥ちゃんが、俯き、やがて黙り込んでしまった。  やがて、彼女の家を通り過ぎるちょうどのタイミングで、女の人が一人、扉から出てくるのが見えた。女性は、露出の目立つ花柄の紫のワンピースを着ており、濃い化粧が目立っていた。  僕はその女性を知っていた。遥ちゃんのお母さんだ。話したことはないが、何度か見たことある。  すると、ずっと見てしまっていたからこちらに気付いたのか、遥ちゃんのお母さんは、こちらを見ると一瞬、目を丸くし、高いハイヒールのせいか、小股な足取りで、こちらに歩み寄ってきた。 「あ、遥。あんた遊びにいくなら一言いってから行きなさいって言ったよね」  遥ちゃんのお母さんは、僕がいることを気にも留めないように、来て早々、尖った口調で遥ちゃんにそう言った。  言われた遥ちゃんは、俯いたままで、何も返さない。 「まあいいわ、私今から仕事だから、机の上のお金置いてるから、晩ご飯は適当に買って食べてちょうだい」  俯いたままの遥ちゃんに言うと、彼女のお母さんは、僕には一瞥もくれずに、僕たちと向かう方向の反対へと行ってしまった。  行こう。と、遥ちゃんは僕の短パンの端を小さく引っ張った。  彼女の家が、いわゆる普通の家とは、違うのだと、当時の小学生の僕でも薄々気づいていた。その違いは、良い意味ではなく、悪い意味で違うのだということも。だけど、彼女は家のことには触れてほしくないようなそぶりをいつもとっていた。  だから、今日も、「アリゲーターガーいるといいね」とだけ、彼女に言った。
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