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「彰浩の様子はどう?」  白蘭の腕の中でぐったりと目を閉じた彰浩は、猿の爪に引っ掛けられたのか、腹に幾筋も深い傷が走っていた。こうしてみれば随分と幼い。甚大な力を秘めた陰陽師とはいえ彼はほんの十数年しか生きていないのだ。 「苦しそうよ。まだ若い……というか子ども、なのよね……」 「そうだな」  それは悠久の時を生きてきた神に連なる自分たちの一瞬にも満たない。  白蘭は、彰浩の一番深い傷に手を当てて、ごく簡単な治癒の術を使っている。これだけで彰浩の流血は止まったが、失われた血や霊力が体内に戻るわけでもなく、すぐに再生されるわけでもない。 「こんな小さな弱い身体で都を守っているのよね」  式神に限らず神は、身体が維持できないほどの深傷を負えば、新しい身体が即座に再生する。魂や記憶はそのままだが、見た目だけが変わる。だが、彰浩たちはそうではない。深傷を負えばそのまま存在が消えてしまう。そんな脆い存在が一人でいるところに、禍々しい妖と遭遇してしまったのは不運としかいいようがない。 「人はあっさり命が消える。手当を速やかに……治癒の心得のある式神を呼ぶか……それとも、異界の治癒の泉に連れていくか」  蘭星がどうしたものかと腕を組む。 「だめだわ、体力と霊力を使いすぎて、どちらも彰浩の身体には負担がかかる」  白蘭が涙声になった。腕の中の少年はどんどん衰弱している。このままだと命が消える。彰浩が消えるのを待つだけなのは辛い。  と、そこへ、いきなり牛車が止まった。 「誰だ?」  蘭星が警戒し、白蘭が彰浩を抱きかかえてさっと立つ。ばっと御簾が盛大に跳ね上げられ、 「お待ちください、どうか私にお見せください」  と、可愛らしい声がしたかと思うと、姫君が転がり出てきた。  姿形こそ主人の使いに出た女童だが、身につけている着物も焚き染めた香も、彼女がただの子どもではないことを示している。だがそもそも幼かろうが年長であろうが姫君が夜更けに単身屋敷の外にいるなど考えられない。この少女は一体何者かと式神が二人揃って身構えるが気にした風はない。 「彰浩さまですね……はじめてお目にかかります。すぐに治しますわ」  数珠と匂い袋を手に、白蘭の腕の中にいる彰浩の傷にそっと触れた。 「オン・ソリヤハラバヤ・ソワカ」  鈴のような声音が、漣のように広がる。  輝きを増した数珠の光が彼女を包み、霊力が一段階増したのが式神たちの目には見える。彰浩の傷が、緩やかに治癒していく。だが、失われた体力や霊力の回復まではできないらしい。困ったように首を傾げる。彰浩は硬く目を閉じているが、先程までのような儚さはなく、落ち着いてねむっている。命の危機は脱した。白蘭が彰浩をぎゅっと抱きしめる。 「彰浩を助けてくれて例を言う。あなた様は」  蘭星が少女に話しかけ、はにかむ少女が答えようとしたところに、牛車がまたやってきた。 「……姫さま! 勝手にお屋敷を抜け出してはなりませんとあれほど!」  叫ぶのは彼女つきの女房だろう。 「もう見つかってしまったのね」 「当たり前です。強い霊力が行使された方は行けばたいてい姫さまですから。さ、式もお父上さまも皆が心配していますよ。帰りましょう」  少女は彰浩の手首に自分が持っていた数珠をかけ、手には匂い袋を握らせる。 「これで……彼は大丈夫。この香りが漂っている間にお屋敷に戻れば、妖にも遭遇しません」  魔除けですね、と白蘭が言う。 「また……お会いできたらいいな。彰浩さま」  遠ざかる牛車を見送り、蘭星は頰を緩めた。 「月夜の晩に、桁外れの化け物と桁外れの霊力を秘めた姫君一度に会うとか……彰浩はどんな運命の持ち主なんだか」  まだまだ目が離せないな、と、蘭星は主である少年をそっと見た。    この月夜の出会いが契機となり彼らは恋仲となり、さらに夜な夜な妖退治に出かけて式神たちをヤキモキさせるのだがーーそれはもう少し未来の話である。 【了】
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