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その晩、暫くしてからジュンは呻き出した。老婆が狼狽え、下半身から噴出した体液に混じっていたバラバラの肉塊を見て、悲鳴すらも出ない。呼吸の荒いジュンの前には見せることは出来ない。
「姉さん見ちゃダメ」
「落ち着いて」
アルメリアが目を塞ぎ、ドラセナが背中をさするが、ジュンは嫌な予感がしていた。血とともに噴出した何か、その正体。震える老婆が持つ、それを。
「見せて」
ジュンが叫ぶと、老婆の嗄れた手を持ってくる。中には四肢がもげた胎児がいた。我が子だ。桃色の、人の姿すらしていない肉塊。姉妹がジュンを抱きしめ、ニゲラを含めて男衆は仕切られた中に入ることも出来ずに様子を伺うのみ。そしてジュンが堕胎したことが知れ、ニゲラはそばに居たティアが青ざめるのを見つけた。彼が場を離れて森に進むので尾行すると、やがて蹲り吐いた。殴られた後の滅茶苦茶な顔で、胃液を吐き出す。
「あんた、何か知ってるのか」
「なんだ」
ニゲラは彼の首根っこを掴んで持ち上げた。
「ジュン姉さんのことについて、だよ。今まで順調だったのに、なぜ、腹の子が死んでしまったんだ。お前、知っているだろう」
「誤解だ」
「嘘をつくとためにならんぞ」
ニゲラは自分でも聞いたことのないような低い声でティアを脅した。すると、ティアは観念したのか、ポツポツと話し出す。薬のことを。すると、ニゲラはあまりのライエの身勝手さに吐き気を覚えた。
「言い訳に聞こえるかもしれんが、俺はジュンに飲ませる気はなかったんだ。本当だ。処分するつもりだった。アルマリアに頼んで」
「なぜ自分で処理しなかった」
「それは」
「言え!」
怒りに満ちた声が森に響く。ニゲラの声じゃないかのようだった。
気圧されたティアはがくがくと震え、腰が抜けてしまい尻もちをつく。
「こ、怖かった」
項垂れるティアを前に、ニゲラは誰にも言うなと釘を刺した。そして遠くでジュンを囲っているテントを見れば、なんとライエがずんずんと侵入しているではないか。
ライエは泣き喚くジュンの頬を撫で、バラバラになった赤子の残滓を一瞥した。ライエの鼻がひくつき、ジュンの涙で濡れる頬をさする。
「おお、可哀想に。我が妻よ、体を洗おう。皆はすぐに片付けに」
「待ってください。姉さんを急に動かしたら」
アルマリアが手を伸ばすと、ライエは恐ろしい表情でひと睨みして去っていった。肩と足を抱えられたジュンは放心し、なにも言わずに暗い湖に降ろされる。股の間を大きな手で洗っても、ジュンはピクリとも動かなかった。
「ジュン、落ち着いたか」
「やめて下さい。私、私は子供を、殺してしまった」
彼女から嗚咽が漏れる。非道な悪魔は悲しむ素振りを見せながら、その悲哀を一番そばで堪能していた。ライエがなんと傷心中のジュンの口を吸うと、彼女が当然の如く拒否する。それすらもしつこく追いすがり、ライエは彼女を陸にあげて押し倒した。
「しーっ、大人しくしていないと体に障る」
ジュンはライエの体を押し退けたが、ふと立ち上がった彼の下半身の怒張を見て怖気が走った。我が子が今しがた死んだのに、この男は自分の性欲を処理することしか頭にない。こいつは化け物だ。
「やだ、嫌だっ。正気じゃない」
「静かにしろ」
ライエがジュンの着ていた服を左右に引きちぎれば、シャツから肌が露わになる。裸になったジュンに迫る手を、彼女は跳ね除けた。
「化け物め」
ジュンが彼の顔に爪を立てて引っ掻くと、ライエの頭にも血が上り唸り声を上げてのしかかってくる。無理やり足を掴んで広げさせ、行為に及ぼうとする男にジュンは悲鳴をあげた。怒張が傷ついた中に押し入ろうとする。
「俺の言うことを聞け」
「痛いっ。やめて、誰か助けて」
「このアマ、大人しくしろ」
そんな蛮行を抑えたのは、後ろから彼を引き剥がしたニゲラとティアだった。隙をつき、怯え切ったジュンにドラセナとアルマニアが近寄って抱き寄せる。ライエは獣のように怒り狂った。
「反乱分子め」
怒りの籠ったニゲラの視線と、軽蔑に満ちたティアの双眸がライエを見やる。
「いい加減にしろ。ケダモノ」
「暴君だ、あんた」
ニゲラとティアは遠くでライエの動向を伺っていたのだ。そして案の定ジュンを襲ったので、今もこうして殴られながらも彼を抑えている。ジュンは泣き喚いてドラセナの胸に身を寄せ、アルマリアは健気な姉の目と耳を塞いだ。心まで疲弊しないよう守るためだ。
「父さんやめて。ジュンは今ボロボロなの」
ドラセナが言うと、ライエは動きが止まり裸で震えるジュンを見る。
「父だなんて、久々に俺をそう呼んだな。ええ、俺に一番反抗的なのはお前だろう。この親不孝もの」
「ドラセナ姉さんを悪く言わないで」
アルマニアが怒鳴っても、小鹿の鳴き声の程度しか覇気がない。ライエは鼻で笑った。
「ただ飯食らいが。その女は俺のものだ」
「あんた狂ってる。異常だ」
ティアが怒鳴るが、二人がライエの動きを封じるのにも限界がある。まずはニゲラが振り落とされ、ティアが湖に投げ落とされた。ジュンがドラセナの耳に打ち明ける。
「私の赤ちゃんだけは大事に持ってて。供養するから」
「貴方はあいつに渡さない」
「姉さん、あいつが」
ライエがた仁王立ちして此方を睨み、いつ襲いかかってこようともドラセナとアルメリアは姉妹を離さなかった。しかし、ライエは彼女たちの元には行かず、ニゲラの腕を持ち上げ、足で踏み付ける。
「ぎゃあ」
そのまま踏み抜けばどうなるか、関節は逆向きに曲がるだろう。ニゲラの口から苦しみの声が漏れるが、彼の瞳には屈した精神は見えなかった。
「こいつの癇癪に振り回されるな。ジュン姉さんを隠せ」
いつもなら屈するニゲラに、ライエは生意気なと悪態をつく。
「弓使いが上手くなって一丁前に人間面か。姉さんに教え込まれたんだろう。利き手の使えない弓使いになんざ用はねえな」
「行けっ」
ニゲラが声を張り上げるが、腕がメキメキと折れ曲がる。ジュンは上体を起こし、よろよろとライエの側に歩み寄る。
「ダメよ」
ドラセナが腕を掴んでも、ジュンはやんわりと手を制してライエに身を寄せた。ライエは憎しみの篭った目でニゲラを見ていたが、ジュンの匂いを嗅ぎつけ、素早く手を離して彼女を抱き寄せる。鼻息は獣臭く、ジュンの体に悪寒が走った。
「俺とて鬼ではない。なあ、永遠に俺の元で奉仕すれば許そう」
ライエの指がジュンの顎を持ち上げて唇をなぞる。つっと、なぞられてジュンは小さく頷いた。兄弟たちが怒鳴り、ティアが湖から這い出て止めようとする。そんな周囲を黙らせるように、ジュンは自ら彼の口に唇をつけ、淫らな接吻をした。憑き物が落ちた様に大人しくなり、ライエは悠々と去る。残された者たちは、またもや彼女に助けられたのだ。
「どうして」
ドラセナがやるせなさに落胆している。だが時間は残酷に進み、ジュン達もまた各々で時間を過ごすのだ。
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