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その後は王子との酒の席で、ジュンは外で待機することになった。ここから先は男たちだけで盛り上がるつもりなのだろう。その際に足枷をライエに外され、誰もいないことを理由にジュンはライエにもの欲しげな顔をされる。
「こら、貴方」
最近は旦那様よりも貴方と言われることの方が、ライエの心を擽るらしい。ライエがジュンの頬を挟み、口を寄せる。
「俺の全てが良いんだろう。優しさと、強引さが特に」
そう言うとジュンはわざとらしくキャッと悲鳴をあげて、身を引いた。慣れた様子で舌を吸い這わせ、静かな庭に唾液音が微かに聞こえる。
「人に見られます」
「俺の命に逆らうのか。今夜は仕置だ」
ライエの舌が首を吸うと、一際高い声が漏れてしまい口を抑える。ジュンの濡れた瞳にライエはかぶりつきたい意志を押えた。
「王子の相手をするんでしょう。頭領」
「いやいやな。外で大人しく待っていろ。少しでも他の男の目につかせたくはない」
「本当に心配性な人」
ライエは名残惜しそうに宴席に戻っていく。
ジュンはその姿が見えなくなることを確認したら口を服で拭った。唾を廊下に置いてあった痰壺に吐き出す。さっきまでの甘い雰囲気も他所に、ジュンは茂みに隠れている弟を呼んだ。
「ここにいるよ」
「よく来た」
ニゲラ、とジュンが名を呼ぶと神妙な面持ちで頷いた。
「姉さん、本当に島の貴族に取り入るのか」
島の貴族、は大陸と離れた島の貴族のことを指した。離島の貴族が来ていると知り、利用しない手はないとジュンは狙っていた。
「ああ。そうしないと、ずっとライエの元で奪われ続ける。私の父と子のように」
ジュンは徐々に変わっていた。大戦を経て、ニゲラの口から信じられないことを聞いたのだ。ライエが赤子を殺すよう命じたこと。最初はあまりの衝撃に理解できずにいたが、亡くなったアルマニアと老婆の言葉で裏付けはとれた。
赤子を殺して、なにが愛か。
その時の怒りは、ジュンを冷酷な審判に変えてしまったのだ。齢十六の頃である。
「サビク王女はサロンでまったりしてるが、ランタナというお付の騎士しかいないぞ」
怒りで靄のかかるジュンは、ニゲラの言葉で我に返った。
「一人なわけないだろう。島の王女なんだぞ」
ここから北の遠くない島の王女らしいことぐらいしか、ジュンは分からなかった。恐らく、事情を知る者は多くない。
「聞くところによると、王子の一目惚れで正体されただけの領主もどきみたいなもんなんだって。殆ど農村のような貧しい島らしい」
ニゲラの言葉に、ジュンは顔をしかめる。
一目惚れ、聞くに絶えないフレーズだ。そのせいでジュンの人生はめちゃめちゃにされた。ジュンの計画は、少しでもコネクションを増やして次の職場に移り、そして。
「なんであれ、ライエを殺す手筈はもう整っている。それ迄にゆっくり人脈を作っていくしかない」
直截な言葉にニゲラの背筋が凍る。しかし、
ジュンはニゲラに解散を告げ、別荘を散策する。黙って待機していたら折角の好機を取り逃がしてしまう。周囲を見渡し、何でもよいから人の良さそうな貴族を探そうとする。
取り入りやすいのは、やはり嫁ぎに行く何かと物入りな貴族の娘だろう。島から大陸に渡り、コネクションがないので心細い筈だ。早く見つけないと。サロンは一体どこだ。
そうしているうちに、サロンに行く手前のことだった。庭の汚い花畑から声をかけられた。
「もし」
凛と、可愛らしい声に足が止まる。
「私でしょうか」
可愛らしいドレスを纏った女性に声をかけられ、ジュンは傍に寄る。恭しく姿勢を正すが、彼女は特に気にした素振りはなかった。
黒髪のくせ毛をまとめた、柔らかい雰囲気の娘だ。可憐な仕草に、なんだかジュンは微かに心が躍った。
「あまり恐縮されないで。退屈していたところなの、話し相手になって下さるかしら」
そんな暇はないと跳ね除けたかったが、ジュンは微笑んで承諾する。何が繋がりになるのか分からないのだ、損は無いと。
彼女はポツポツと話し始めた。掻い摘んで言えば、男に言い寄られているがどうしていいか分からない、ということだ。
「貴方はその方のことを好いていらっしゃるのですか」
「分からない。だって趣味も何も知らない人よ」
この時代の女性の結婚には断る権利はほぼ無いに等しい。相手の位にもよるが、良縁を結ぶのが繁栄の象徴たる女性の務め。ジュンはそんな繋がりなど唾棄すべきだと思っているが、口にはしない。
私の道は私で進む。奪われ続ける人生には飽いた。我が子の無念を晴らし、いずれ。
「不安になるのは仕方ありません。ですが、自分を持っていないと空っぽのまま、辛くなりますよ」
ジュンはいらないことを言ってしまったと口を抑えるが、女性はふふと笑った。
「貴方って、面白いのね」
「はあ」
「また会える気がするわ」
すると女性が何かを察して去っていった。その後、ジュンの元に大柄な騎士がやってくる。大きな体に髭面だが、温和な瞳がきらきらしている。汗だくだが。
「はあ、はあ、そこの君、はあ、人を見なかったか」
「落ち着いて」
「すまない。その、島から来たばかりで」
ジュンはピンと来た。
「貴方、島からこられたクラズ王女の騎士ですか」
「ぬ、そうだが」
僥倖だ、ジュンは笑みがこぼれた。
「ランタナ様、お噂はかねがね。お会いできて嬉しいです」
「そうか」
「ええ。もし騎士が足りぬ場合は是非私に」
伝手などないが、今は嘘を言ってのけるしかない。ランタナは気を良くしたのか、ははと笑った。
「貴方はライエ傭兵団のジュンであろう」
「えっ」
まさか自分を知っているとは、ジュンは驚いた。
「大層強いと聞いたぞ。女傑だともな、ふふ、遠くで見ていたが、弓があんなに子気味よく当たるのは初めて見た。すごい腕だ」
素直な褒め言葉に惚けていると、後ろからあの女性がひょコリと現れ、何も知らないランタナの前に突然現れた。
「わっ」
「ぎゃっ。なんだ、こら、姫」
「ふふ、それでも私の騎士なの」
ジュンの背筋が凍る。この人は、まさかクラズ王女だったのか。
「あ、あの」
ジュンが思わず尋ねるが声が出ない。チキンな自分が情けないが、二人は嫌味のない笑顔を向けてきた。
「彼女、私の友達なの」
「へっ」
「姫、からかってはいけませんぞ。すまんな、姫は本当にお転婆で困る」
賑やかな二人は楽しそうに去っていくが、ジュンはせっかくのチャンスをものに出来たか分からない。しかし、この先彼らは再び相見えることになる。
島中を巻き込んだ大きな大戦の、その後に。
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