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ジュンはライエの腕を掴み、外に連れ出した。道を進み、ジュンが駆けだしてライエの少し前を進む。ライエはこの娘の背中を眺めた。十年も傍に置き、ここまで心安らかになれた女性は初めてだった。この娘の為にわざわざ家を見つけたのも、普段の自分ならしないことだ。
「ジュン」
ライエが呼ぶと、ジュンが振り返る。月明かりに照らされた顔は大人になりつつある。これからどんどん美しくなるだろう。大戦が終われば、もう余計な過去に苛まれることはないだろう。
「ライエ、剣を持て」
凛と彼女が言う。
ジュンが何を言っているのかわからない。しかし、ライエの足元には剣が放られた。力の抜けた体は反応が送れたが、ジュンの手に構えられた剣を見た。走り寄ってくるの彼女に戸惑いながら、剣を拾って衝撃が起きた。
「な、なんだっ」
追撃は止まない。ライエは森の奥に押しやられ、ジュンは怯まず的確に剣を振りかぶってくる。ライエは襲い掛かってくる最愛の妻に、戦意よりも段々と悲しみが混ざってきた。
「おらっ」
ジュンの剣がライエの足を斬る。血が散り、ライエは片膝をついた。荒い息を吐きながら、ライエは悲痛に歪んだ顔でジュンを見上げた。散々好き勝手してきた強気な男が、最後の最後に信じた女を見る。冷たい目だ。
「どうしてだ」
ジュンの心は冴え渡り、今なら首は落とせないまでも胸を突き刺すことができる。ジュンは微笑んだ。心の底から湧き出る、穏やかな笑みだった。
「愛してるから」
「俺も愛している。頼む、殺さないでくれ」
今迄見せたことのないような哀れな顔に、ジュンは満足そうに微笑んで頬に触れ、ライエに優しく口づけた。夢の様にライエが目を細め、月明かりを背景に立ちはだかるジュンを見る。
「地獄で会おう」
心臓に剣が突き立てられ、見開いた目を覗き込みながら再びジュンは口づける。表面ではない、食むような口づけを離せば、ライエは絶頂した時の様な呆けた顔で死んだ。ジュンは唇を舐め、死体を見下ろす。
冷酷な姉の姿を茂みで見ていたニゲラは、恐る恐るジュンに近寄って行った。足が遅い。俺はいつも何故、こんなにとろいのか。
「どうしてだ、ジュン姉さん」
「君もライエみたいなことを聞くんだな」
いつも通りの調子なのが、ニゲラには恐ろしかった。
「だって、殺すのは大戦が始まってからじゃないと。反逆者として俺たちが傭兵団から始末される」
道理を通しているつもりだったが、自分でもおかしな気分だった。この殺害計画を考えたのは姉であるジュンだ。なによりもジュンが理解しているはずなのに、こんな失態を犯すなんて。
「それが問題だなあ」
へらっとジュンは笑って流す。
「なに悠長な事言ってるんだ」
ジュンが冷静にいつも通りなばかりに、ニゲラは余計に混乱してしまう。
淡々と、言い聞かせるようにジュンは続けた。
「私を戦争に連れて行かないって言ったんだ。そしたら殺せないだろう。こいつを」
唾を飲み込む。ニゲラは、その恐ろしいまでの執着に嫌な面影を感じた。
ニゲラは、別にライエを殺したいほど憎んではいなかった。姉の子供を殺したのは許せないが、大戦で勝手に死ぬのであればそれでよい。ニゲラは、新しい人生を歩みたかった。だからジュンの誘いに乗ったのだ。
今のジュンには、殺したライエの支配欲と嗜虐心が宿っているように見えた。
ほかの誰かの手にかかるのであれば、自分の手で奈落の底に落としたい。そんな破滅を導く独占欲。
「姉さん。あいつみたいになっちゃだめだ」
思わず口をついて出た言葉に、ジュンは笑顔のままだった。
「お前に我が子を亡くした悲しみのなにがわかる」
「えっ」
聞き返しても、ジュンは笑っただけだった。
「ニゲラ、我が弟よ。そう慄くな、脅威は去った。あとは大戦に紛れて私たちの死を偽装するだけ。簡単な仕事さ」
「姉さんっ」
ニゲラの声にジュンが反応すると、ライエの死体があった場所には一匹の野良犬がいた。死に絶えた薄汚い野良犬、これが奴の正体だとでも言うのか。
ジュンは喉の奥から笑い声が漏れ、ついには大声で笑い始めた。
「これが奴の正体か。私にしがみついていたのは犬だったのか。はは、愉快だ。あんな残酷なこと、犬畜生でないと出来る筈もないなあ」
獣だからこそ高潔であれと実父が昔に言っていた。口の端がこれまでの人生の中で最高潮に吊り上がる。もう貞淑な妻を演じる必要もない、これから進む道は破滅であろうと、自分の道で進んで行こうと。
「何をしている。あ、ジュンにニゲラ」
協力者であるティアがやってくる。彼もまた傭兵団を抜け、新しい人生を歩もうとしているものだった。ティアは二人の足元で倒れている死骸を見て、顔をしかめた。
「獣をいじめていたのか」
「そんな性悪なことはしないよ」
ジュンの言葉にそれもそうかとティアは納得する。そして、足の先で口を半開きにして倒れる犬を小突いた。
「なんにせよ、土に埋めてやれ。なんと哀れな野良犬か」
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