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一線
ある日の午後のことだった。他の村の子供たちとは違うが、たしかにあった平穏な日のあること。
「クシーって変な名前」
ペンタスがパンを齧りながら言うと、クシーは笑った。
「クシーは大昔の6という月の29番目、優しく穏やかな純粋さという意味があるんだよ」
「賢いのね。何処かの貴族だったのかしら」
ドラセナが聞くが、クシーは苦笑して首を振る。
「まさか。ただの平民で、たまたま頭領に拾われただけさ」
「クシー姉ちゃんはいいよな。戦争に連れて行ってもらえて。俺なんかまだだぜ」
「あんたが言っても足でまといよ。ねえ、姉さんたち」
アルメリアが蝶のように笑うと、ペンタスと子犬のように罵りあった。そんな二人を前にクシーの顔は暗い。戦争家業に身をやつして早二年、歳は十。まだまともに人を殺せたことがない。早く成果を上げないと、料理番以外に役目が無くなる。そうしたら、次に戦争に駆り出されるのはペンタスか、アルメリアか、はたまた長女のドラセナか。まあ、一番下のニゲラは有り得ない。度胸以前に人を殺せるまでは無いのだ。
「顔色悪いけど大丈夫」
看護班のドラセナがクシーの傍による。
「いいや、このままでいいのかなって」
「なにを今更」
「戦争なんて早く終わってくれないと困る」
「だったら俺たちどうやって飯を食うんだよ」
ペンタスが吠えると、フラフラと頭領のライエに呼ばれていたニゲラが戻ってきた。歳は八だが、口数も少なく何を考えているのか分からない。
「頭領に怒られたの」
ドラセナが笑顔で聞いてくるが、ニゲラの顔は今にも泣きそうだ。
「明日、戦争に出るんだ」
「まじかよ。ニゲラに先を越されるなんて。あっ、姉ちゃん」
クシーは思わず走り、ライエの元へ馳せ参じた。大人の人がきに突っ込み、頭を下げて拝謁する。
「失礼します。頭領に面会をお願いしたいのですが」
「飯泥棒にそんな権利はない」
他の男に頭を蹴られるが、ライエの獣の唸り声がすると静まる。
「なんだ。二年も成果を上げていない我が娘よ」
「はっ。ニゲラの出征にはまだ気が早いかと」
「俺の采配に口出しするのか」
場が凍るのを感じるが、クシーは言わずにはおれない。
「まだ八になったばかりです」
「お前が戦に出たのは幾つだ。お前を見込んで養子にしたのに、俺の顔に泥を塗りやがって。体ばかり一丁前に成長するんだなあ」
ライエの手がクシーの胸を掴み揉み込むと、彼女の頬は朱に染まり冷やかしの声が聞こえた。そうすると益々赤くなるが抵抗もできず、クシーは唇を噛む。
「お父様、おやめ下さい」
「俺の事をアルヘナのようにトトと呼んでみろ。そうすれば少しは親心に答えようという気概も湧くさ」
「お戯れを」
「んん、固くなってきたなあ。これはなんだ」
クシーは決死の思いで手を払い、彼の手を掴んで頭を垂れた。
「必ずや次の戦では兵を討ち取ってみせます。だからニゲラの出征だけは」
「大将だ」
周囲からどよめきが聞こえる。
「そんな無茶な」
「この二年を取り返すにはそれしかあるまい。でなければ、ニゲラはさっさと戦で死んで貰う。他の兄弟もだ。お前は飯炊き、兵士の役、それと」
「なんでしょう」
「お前もそろそろ頃合だ。先程の実り具合で分かったわ」
クシーが舌なめずりをする彼から顔を背けると、ここぞとばかりに彼が手を掴んで口を寄せた。
「あっ」
ライエの迫る顔を両手で押しのけるも、大きな手が鬱陶しそうに払い除けて口を吸う。冷やかしの声に顔を赤らめ抵抗すると、涙で濡れた顔にライエは鼻息が荒くなった。
「本当に生娘か、貴様」
「おやめ下さい」
舌は有無を言わせず口内を蹂躙した。周囲から口笛やニヤけた視線に耐えれば耐えるほど恥じらう顔に、ライエは益々興奮しいきり立った。
「よし、お前ら。戦の準備だ。殺して奪って犯してしまえ。奴らの血で陣取り合戦だ」
クシーを戦の準備に引きずり出し、総大将として鎮座していると側近が耳を寄せてきた。
「何故あのような無茶を」
「なんだ。クシーのことか」
「ええ。子供だってあんなに集めてどうされる気です。戦争で役に立たない」
「馬鹿め。子がいないと繁栄は望めん。それに奴にはまだまだ頑張ってもらわんと、父親を殺した意味が無い」
「はあ。ですが、大将を討ち取ったらどうされるのですか」
「そんなことは有り得ない」
その戦いの日、なんとクシーは総大将の首に矢を射ったのだ。彼女は人を殺めることに抵抗があっただけで、能力が低い訳ではなかった。それを皮切りに、その戦では主要な戦力を削ぎ、貢献した。
「これでよろしいでしょうか」
頭を垂れる娘にライエは鼻を鳴らす。戦の後は、戦果も虚しく項垂れるこの娘を甚振って夜を明かそうと思っていたが、とんだ誤算だ。話した手前裏切ってしまえば楽だが、段々と脂の乗ってきたこの兵士の勢いを削ぐのも気が引ける。ライエは耳打ちをした。
「良くやった。しかし男は皆戦に出る運命は変えられない。今は少し寿命が伸びただけ、覚悟しておけ」
クシーは何も言わず俯く。その日からペンタスとニゲラへの指導も業務に追加した。ペンタスはやたらと剣を振りたがったのでクシーも剣を覚え、ニゲラには弓を教えた。
姉のドラセナと妹のアルメリアはその様を横目に看護にあたる。
「クシー姉さんは手がいくつあるのかしら。私たちより業務が多いのに、ピンピンしてる」
「こら、無駄口叩かないの。クシーも疲れが溜まっている筈よ。仕事はどんどん溜まるもの」
「はあ。頭領のお相手もあるものね。私も呼ばれたいなあ」
アルメリアはその意味が分かっていない。ドラセナはいつあの男が妹を歯牙にかけるか不安で仕方なかった。まだ晩酌の相手だけだが、いずれ取り返しのつかない夜が来るのではないか。
「ドラセナ姉さん、顔色が悪いわよ」
「ええ、少し疲れて。今夜水浴びでもしましょう」
アルメリアが嬉しそうに手を振ると兵士たちの責めるような目線に二人は俯く。その夜、二人は兄弟たちを誘って大人のいない夜に湖畔で水浴びに興じた。
「ああ、冷たくて気持ちいい」
「ドラセナ姉さん、いつも兄弟の世話ありがとう」
クシーが微笑むと月明かりに照らされて、十二歳とは思えない大人びた顔ぶりに思わずときめく。体に出来た傷の痕に、胸が痛んだのを。
「貴方こそ、私たち子供たちの中で郡をぬけて働いているじゃない。感謝したいのは私たちの方よ」
遠くでペンタスがニゲラに戦争ごっこを仕掛けている。アルメリアがやめなさいよと怒っていた。
「こら、ペンタス。お前はまだ戦争には気が早いぞ」
「はあい。逃げるなよ、勝負だ」
「ペンタス兄ちゃんやめてよ」
「やめなさいよ」
微笑ましい光景を前に、クシーがドラセナに身を寄せた。
「ドラセナ姉さん、背中撫でて欲しいんだ」
「どうして」
クシーの顔が少し赤くなる。頭がクラクラした。こんな表情、もし他の野蛮な男に見られたらと思うと気が気ではない。
「落ち着くから。明日も頑張れる」
だが彼女の口からは幼い子供の要求が漏れるだけだ。ドラセナが優しく彼女の素肌に手を伸ばし、背中を撫でればクシーは満足そうに微笑む。その様子を面白そうに三人の兄弟は見ていた。
「クシー姉ちゃんが甘えてら」
「別にいいだろ」
クシーが窘めても、ペンタスは愉快そうに笑っていた。
「背中撫でたら落ち着くんですって」
「ドラセナ姉さん」
「なら私も撫でてあげる」
アルメリアの小さな手がクシーの背中に触れてぎこちなく撫でる。すると他の二人も手を伸ばして背中を撫でれば、クシーは恥ずかしそうにじっとしていた。
「お前たちはいいよ。疲れるだろ、折角の水浴びなのに」
「クシー姉さん、いつもありがとう。俺、足でまといだ」
ニゲラが小さく言うと、クシーは彼の頭を撫でた。
「いいんだよ。ニゲラはいつも頑張ってるだろう。知ってるよ」
「あっ、泣いてる」
「泣き虫」
幼い兄弟がはしゃぎあっていると、クシーも少しはこの生活も悪くないと思えた。その時、水辺に突然現れた黒い影にクシーはドラセナの体を抱えて隠す。
「誰だっ」
「口の利き方に気をつけろ。頭領のお気に入りだからって、調子に乗るなよ」
それは傭兵団の男二人だった。大人は寝ている時間だ、夜番の二人でもない。怯える四人を守るようにクシーは立ちはだかった。
「滅相もございません。直ぐに立ち退きます」
「気にするな。俺達も体を洗いに来ただけだ。そのままでいろ、そのままでな」
クシーをジロジロ見る目線には耐えれたが、ドラセナやアルメリアでさえ獣のように物色する目線にクシーは早く上がるよう促した。すると耳障りな笑い声を上げて男たちは水に漬かり距離を詰める。
「近づかないで」
ドラセナが思わず声を上げる。縮こまった子供たちを愉快そうに囲むが、一向に手は出してこなかった。まるで何かを待っているような間の悪さに、クシーは違和感を覚えた。
「お前たち、何をしている」
振り向けばライエがいた。アルメリアが子猫のように目を潤ませる。
「父さん」
「俺の子供たちにちょっかいをかけるんじゃあない」
子供たち、寒々しい台詞にクシーは嫌気が差した。しかし他の兄弟は光明とばかりに彼に近寄り、上がるよう促される。
「クシーも早く」
ドラセナが伸ばした手をライエが制する。
「お前はダメだ」
「えっ」
戸惑うドラセナにクシーは頷き、先を促す。彼女もこの茶番に気づいたのかライエを睨むが、男二人に急かされその場を後にするしかなかった。
ライエが深いため息を吐いて素足を湖畔につけ、来いと手招けばおずおずとクシーは腕を伸ばす。焦れったそうに強く引いて、ライエは胸に抱き寄せた。
「その歳で駆け引きを覚えるなんざ、女は末恐ろしい」
「違います」
「歳は十二歳か、漸く、四年も待ったぞ」
息が体にかかる度に震えが増し、身を捩り湖畔に波が出来上がる。
「私には無理です。出来ません」
「男女の営みは自然と決まっているのだ。怖がる事は無い。俺が導いてやる」
「嫌だ」
「ドラセナやアルメリアがどうなってもいいのか」
あえて女兄弟の名前をあげる所にいやらしさが出ている。クシーが悔しそうに顔が歪むと、ライエは満足そうだった。
「娼婦の方のようにはなれません」
「熟れた女もいいが、一から教え込むのもまた良いものだ」
「神よ」
胸にかけられた首飾りが、ライエの口に咥えられる。そして力一杯噛み付けば、無惨な木屑へとなって水に落ちた。
「どの神を信じても幸福にはなれない。さあ、捧げるがいい。お前は今日から娘ではなく、我が妻だ」
クシーの頬に涙が流れたが、誰も拭ってはくれなかった。
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