娼館のアガパンサス

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娼館のアガパンサス

「とうとうライエ頭領がクシーに手を出したらしい。仲間に一芝居打たせてまでな」 「異常だぜ。六つの時から目をつけていたなんて、頭領の趣味はわからん」 「しっ。聞かれちゃ不味い。何でも他のやつから聞いたらよ、一目惚れみたいな顔してたってよ」 「うげっ。益々理解不能だ」 「小さい頃から手懐けるんだろうさ。犬猫と同じよ。あんな小さい子が、床では猫みたいに鳴いてら」 「まあ、クシーは他の子供に比べたら欲しくなるのも分からんでもない」  傭兵団の仲間内で下らない憶測が飛び交う。ドラセナは遂にこの時が来たと辟易し、アルメリアは口を尖らせた。 「どうしたの」 「どうもこうも、最近のクシー姉さんは少し調子に乗っている気がするの。頭領に寵愛されているからって、私の事を無視するし。あーあ、私も頭領に愛されたい」  齢六つの子供の口から出たとは思えないおませな言葉と無神経さに、ドラセナはカッとなって肩を掴んだ。 「なんにも知らないでっ」 「ごめんなさい」  怯えるアルメリアにドラセナは諭すように告げた。 「クシーは男に愛されたからといって、態度を変えるような子じゃないわ。あの男の独占欲はおかしいのよ。彼女が貴方を避けるのは、ライエの気まぐれに関わらせないため。分かってちょうだい」 「俺たちに稽古を付けてくれなくなったのも、そのせいなの」  ニゲラとペンタスが寄ってくる。ドラセナは三人の兄弟の背中に優しく手を伸ばした。 「クシーも戦っているの、私達も負けないように頑張らなくちゃ」 「ドラセナ姉ちゃん、俺、昨日の夜頭領に会いに行ったんだ」  ドラセナの目が険しくなる。初耳だった。 「どうして。叱られたの」 「違う。毎晩、頭領に押し潰されて、クシー姉ちゃん泣いてるんだ。苦しそうに、それを見て、あいつ笑ってんだよ。いつか殺されちゃうよ」  ペンタスは不安を吐き出すように言葉を紡いでは、堪えきれず涙を流した。ペンタスにはまだ性交の何たるかは知らないのだ。ドラセナは幼い弟の頭を撫でる。 「怖かったね」 「姉ちゃんを虐めないでって、言ったんだ、俺、それで」 「もう言わなくていいから」  ペンタスの脳内にこびり付いた、闇の中で蠢く肉塊。裸で重なり合い呻く様は、化け物のように幼い彼の目に映った。 「あ、あいつ、もっと姉ちゃんにのしかかって、俺、怖くなって、逃げちゃった」  大声を上げて泣きわめく弟をドラセナは抱きしめる。ニゲラとアルメリアも縮こまって震えていた。  あの男は前の妻も、前の前の妻もすぐに駄目にしてしまった。誰もあの男の狂気には耐えられない。いつか本当にクシーは殺されてしまうかもしれない、そんな恐怖と共にドラセナは胸中である決意を固めた。 その晩、クシーはある娼館を訪れた。アガパンサスという娼婦が、昔ライエのお気に入りだったそうだ。しかし行為の最中、キスしようとした瞬間。 「猿が」  と言い放ち唇を噛みきったそうだ。それ以来口元を布で隠しているらしい。クシーは身なりを隠し、番頭に「アガパンサスを」と指名した。 「冗談きついね。ここは見世物小屋じゃないんだ、冷やかしは帰りな」 クシーはすかさず金貨を一枚渡し、番頭は態度を変えて一室に通した。狭い部屋で口元を隠した女性が、寝具に座っている。 「失礼致します。私はジュン、ライエの妻です」  ばっと顔を上げるアガパンサスの驚嘆は、次第に侮りに変わっていった。自分とは十も離れた小娘に、ため息が漏れる。 「噂はかねがね聞いております。前は確かクシーと言ったのでは。婚姻の際に名前も変えるのですか」 「お耳が早いようで」 「何の用ですか」 「夜の手管を教えて頂きたく」  するとアガパンサスはクスクス笑った。 「夫の前の遊び相手に教わるなんて、プライドはないのかしら」 「此方は命が掛かっているのです」  彼女の顔が怪訝になる。 「若妻として愛されていても、単調になれば飽きられて捨てられるのが怖いのでは」 「上手く出来ないと、もっと酷い目に合う」  クシーことジュンの瞳に涙が溜まる。アガパンサスはその幼さに戸惑った。喧嘩腰の自分が酷いやつみたいじゃないか。 「こちらにお座り。貴方お幾つ」 「今年で十二になります」  喉からひめいが漏れた。自身の中にあるライエへの思いが全て弾け飛ぶ様な、衝撃。そして涙ぐむその横顔のあどけなさと色気の具合。アガパンサスは彼女の運命のほの暗さに目眩がした。 「ならまだ男の悦ばせ方など分からぬでしょう。異性との付き合いだって、まだまだ青い時期に。今まで大層不安だったのね」 「はい、誰に言って良いものか」  めそめそ泣き始めてしまい、アガパンサスはどうしたものかと彼女の背中を優しく撫でれば、疲労のせいか寝てしまった。元々客を多く取れない彼女は、時間満了まで彼女のそばにいた。 「あんた、なんだいその子」 「しっ。ぐっすり寝てるの、頬っぺ触っちゃお。柔らかい」 「婆にバレるとおっかないよ」  仲間に言われ、渋々アガパンサスはジュンを起こすと、寝ぼけ眼を擦って上体を起こした。 「わっ。もう朝か」 「まだ夜よ」  アガパンサスと仲間がクスクス笑うと、ジュンの頬にぽっと赤が差す。その様も年相応で可愛らしかった。 「この子があんたを買ったのかい。可愛いお客さん」 「からかっちゃ悪いよ。この子は、言ってもいいかい」  ジュンがアガパンサスに頷く。 「私はライエの妻です」 「なんてこった。あんな男に嫁いだのかい」 「こんな、こんまい子が」  仲間が顔を引き攣らせる。 「あいつはここら一帯の娼館は入場不可なのさ。女を手荒に扱うからね」 「腰は痛めてないかい」  矢継ぎ早に質問され目が回るが、痛くて我慢できない箇所がどうしてもあった。 「そ、その、中が痛くて」  顔を赤らめ小さな声で言うと、周りはああと大声で頷く。 「あいつに優しい前戯なんて期待しない方がいいね。ガサツだし」 「腰だって乱暴で自分よがりな性格が出てる」 「見栄っ張りで自己中心的などうしようもない男さ」  娼婦たちの罵声に圧倒されていると、アガパンサスが耳打ちする。 「悪いね。どうも溜め込んだ物が出ると手が付けられない」 「いいえ」  ジュンの手に軟膏が渡される。 「これをする前に塗りな。良いかい、こんなことあんたに言いたくは無いが、あの男はモノだけは良い。どうせ逃れられない状況なら、楽しむしかない。あの男に借金でもしてるのかい」  ライエにはものの成り行きでついて行っただけだ。逃げようと思えば逃げれるが、宛がない。戦争家業の奴の元で働く以外の伝もない。だが、いつか兄弟を連れて命の危険のない場所でのんびり暮らせたら、なんて夢想はした。 「また来てもいいかな」  ジュンの甘えた声に、アガパンサスはすっかり姉気取りだった。 「勿論さ」  
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