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喪失
ジュンが子を身篭ったのが分かったのは、ペンタスが流行病にかかって死んだ次の月だった。
「ペンタス。すぐにジュン姉さんも来るから、待っててね」
ドラセナが青白い顔で寝込むペンタスに必死の呼び掛けをするが、微かに声は届いているのか、それすらもその虚ろな瞳には何が映るのか。
「だれ、その人」
「クシー姉さんのことだよ。ペンタス、しっかりして」
「ペンタス兄さん」
思い思いに三人の兄弟が声をかけるが、ペンタスの瞼が眠そうに閉じようとする。永遠の眠りだ。その顔に、泥だらけの顔をした影が映る。
「ペンタス」
凛とした声に、小さな弟は目を開く。頬を伝う血に、勇ましい姿は思い描いた自分の姿だ。本当なら自分が戦に出るつもりが、こんな所で死に絶えようとは。
「姉ちゃん」
「死ぬな。お前はまだやり残した事があるだろう。こんな所で死んでたまるか。死ぬな」
ペンタスは何を思ったのか、ふっと微笑み瞼がゆっくりと落ちていった。姉の勇姿を瞼の裏に焼き付け、そっと。
「ペンタス、しっかり。私もう喧嘩しないよ。仲良くしよう」
「ペンタス兄さん、やだ」
「おい、しっかり」
「もうやめて」
ドラセナが制した所で、幼い少年に群がる手は動きが止まった。死を受け入れることの恐怖に、残されたものは耐えるしかない。ドラセナの慈しむ様な手が、ペンタスの頬を撫でた。
沈痛な面持ちで別れを惜しむ彼らを遠巻きに見ているのは、ライエとその部下だった。ドラセナはジュンに早く彼の元に行くように告げた。
「ペンタスの供養は今夜必ず」
「私達三人でできる限り早く済ませるわ。貴方は気にしないで」
「そんな、私も」
「ライエは許さない」
ジュンの目がこちらを伺うライエを盗み見る。
「仲間の死くらい看取らせてくれるさ。いくらあいつでも」
「あの男を信用してはいけない。もしかして、情が湧いたの」
責めるような物言いに胸がザワつく。あの娼館に行った日から、正直ジュンは快楽の喜びを覚えてしまった。抱かれることが吝かではなくなり、乱暴な性もそれはそれでいい味のように思えてきた。齢十四の頃である。
「そ、そんなんじゃない」
「ならいいわ。ライエがこっちに来るわよ。行って」
ジュンが去った後、三人は夜中に穴を掘ってペンタスの死体を布にくるんで安置した。そして花を散りばめている最中、もうひとつの影が現れる。星の形をした小さな花の束を、そっと入れた。
「ペンタスは花の名前らしい。大昔の人が何にその名をつけたかは知らないが、願い事という思いが込められている」
ジュンの沈んだ声に、ドラセナは微笑む。
「そう。教会は大抵花の名前を子供につけるそうよ。貴方の名前もそうでしょう」
「私は星の名前だった。クシー。今は、六の月の名前を貰っている」
ジュンの体から甘いムスクの香りがする。今しがた抱かれてきたとばかりの匂いに、ジュンも気になるのか自分の手首を執拗に嗅いでいた。
「そんな嗅がなくても」
「臭いよね」
「いい香りよ。鼻につく香りだけど」
「違いない」
軽く応酬しても虚しい。アルメリアとニゲラの涙が零れる。この残った兄弟をどう守っていくか、二人の姉の頭にはそれしか無かった。このままでは流行病ではなくても、戦に連れていかれるかで死んでしまう。
「誰もいない土地に作物を植えて、兄弟でひっそり暮らさないか」
「私も、同じような事を考えていたわ」
子供たちだけでは夢想もいい所だ。だが、そんな希望にすら藁をも掴む思いで、それしか考えられない。そんな彼女たちを翻弄するように懐妊の知らせが、傭兵団のお抱えの看護班から告げられた。
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