出会い

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出会い

 ノシメ港町とカンゼ村の境にある、奥まった森の更に人が寄り付かない奥地には、古くからこの地に根付く集落がポツンとある。その村のアルヘナは、何処からか幼い子供を拾ってきた。  アルヘナは若い頃に妻を亡くし、新しい妻も迎えず村の奥でひっそりと暮らしている。狩りの腕が良い男だったが、心の傷はなかなか癒えなかった。村人たちの心配が呆れに変わる五年後に、その子供を愛おしそうに抱き抱えていた。 「その子は誰の子だ」 「俺の子だ」 「お前まさか、他所の家から攫ってきたんじゃあるまいな。村に揉め事は起こさんでくれ」  アルヘナはかぶりを振って否定する。 「この前川の氾濫があったろう。その時生き残りがいないか見に行ったら、泣いているこの子を見つけて。瀕死の夫婦に託されたのだ」  村人はその様子を見ていないから、アルヘナの言葉を信じるしかない。嘘をついて盗みを働くような男ではないので、放っておくことにした。  アルヘナはその子を自分の名付けられた星の一つ前の星、クシーと名付けた。クシーは養父の甲斐あってみるみる大きくなり、優秀な子に育った。狩りをさせれば抜群、村の言語と外の街の言語を二つ覚え、何よりアルヘナのような心優しい聡明な子供に育った。  クシーが齢六の頃には、家に引きこもりがちな父に代わりよく村の人たちと交流を盛んに行った。すると、そんな彼女を興味深げに観察する一人の男がやってきた。  彼こそが、クシーの運命を大きく変える男である。名をライエ、と言う。 「ライエ様。ご帰還お疲れ様です」  村人たちはライエと言う体の大きな傭兵を見かけると、畏怖の眼差しで出迎えた。それもそのはず、この男は荒くれ者共の頭であり、何故かこの村とは友好関係を築いている、と言う体だ。クシーの目には荒くれ者のライエを怒らせないよう、皆が気を張っているように見える。 「あの男はある島からやってきた非人と呼ばれる除け者だが、俺たちの宗教上では神に等しい力を持つ男だ」 「神が人の姿をしているのですか」  ある日クシーが父に尋ねると、アルヘナは気まずそうに頬をかく。そして首にかかった円の形をした首飾りを額に付けた。 「俺たちは大地と共にある。形骸化した宗教だが、俺たちは獣であり、だからこそ誇り高く生きなければならない。あの男は、その獣の頂点に立つ男だ」  クシーには分からなかった。 「そんな人が、のけ者、ですか」 「俺も詳しくは分からん。遠い島では獣の姿を持つ民族が権力争いに塗れ、あの男はそれに敗れてこの島に辿り着いた。除け者というのはそういう意味ではなく、この島にはもう別の宗教がのさばっているだろう。水の女神」 「あんな阿婆擦れを慕うなんざ、猿らしいっちゃありゃしねえ」  何気ない親子の会話に紛れ込んだ珍客に、二人は顔を見合わせた。突然家に侵入してきたライエに、二人は戦く。アルヘナが昂るクシーを落ち着かせた。 「これはこれは、ライエ殿。何用か」  ライエの瞳がぎょろぎょろと部屋を物色し、クシーを視界に入れるとニヤリと笑った。そんな彼の視線を遮るようにアルヘナは立ち上がる。 「なんだい。いきり立って」 「何用か。ここには貴方の望むものはありません」 「そうかな。俺への不忠を働く狼藉者を炙り出せたぞ」  ライエの後ろには彼に劣らぬ体躯の者達が揃い、外から中を伺っていた。武器を手に怪しげな目で、沸き立つ血を持て余している。 「ここで静かにしていなさい」  アルヘナが言い切る前にライエが彼の首根っこを掴んで外へほおりだす。クシーは思わず走り出し、父の上に覆いかぶさった。 「やめてくれ。私たちが悪かった。謝るから許して」  周囲が囃し立てるが、ライエはこの時を狙い彼女の顔を指で撫でた。アルヘナが思わずその手を払うと、傭兵たちが彼の腕を抱えて無理やり暴力を振るおうとする。 「勝手をするな」  ライエが吠えると、傭兵たちはしゅんと俯き、怯えるように後ずさった。 「も、もうしません。許して下さい」 「なら捧げ物がいる。俺に野鳥を三羽、今日の夕方までに。出なけりゃトトがどうなっても知らないぞ」  クシーは背中に備えた弓矢を番え、父の後ろで飛び立った野鳥を素早く射った。その素早さと反射神経にライエは目を剥き、振り向いた首を戻した隙にもう一羽の胴を矢が貫く。感嘆が周囲から漏れる中、もう一羽が中々見当たらない。 「クシー、どうしたんだ」  騒ぎをききつけてやってきた友人のケーティ(5/1くじら座)を遠くに見つける。クシーは彼の手に捕まえたばかりの生きた鳥を見つけ、矢を向けた。 「ケーティ。腕を伸ばせ」  唯ならぬ状況に幼いケーティは息を飲み、言われるまま手を伸ばす。弦がしなり、クシーが弓手を離せば鳥の脳天を突き刺した。哀れな野鳥の甲高い悲鳴に飛び退いた他の鳥たちが空を飛ぶ。クシーは今、集中力が限界まで引き伸ばされ、空を飛ぶ鳥のスピードすら緩やかに感じた。 「もういい。やめろ」  父の声も届かない。クシーはニヤリと笑うと、番えた三本もの矢がそれぞれ別々に舞い、優雅な曲線を描いて二羽仕留めた。 「あと一羽だったのに」  悔しそうに地団駄を踏むクシーの足元に、野鳥がバタバタと落ちていく。アルヘナは男たちを振りほどき、得意げなクシーの傍に行く。当然褒められるものだろうと誇らしげな娘の頬を、アルヘナは平手打ちした。 「命を粗末に扱うな」  途端にクシーの顔は年相応に赤くなり、叩かれた頬を抑える。すると、アルヘナも泣きそうな顔で抱きついて項垂れた。父の様子に娘は戸惑うが、背後で爛々と目を輝かせてこちらを見るライエに背筋が凍った。 「素晴らしい腕前だ。即座に一、二、三、四、五羽。腹が減った、どうか食事に招いてくれまいか」  アルヘナはきっと睨み返すが、傭兵団の勢力には勝てないと分かり、クシーの肩を抱いて囁いた。 「先程は叩いてすまない」 「ううん。私も粗末なことをしました」 「お前は賢い子だね。ケーティと一緒に遠くに遊びに行っておいで。奴に見つからないよう」  クシーは頷き、友人のケーティの元へ向かう。しかし、ライエの太い足が邪魔をして、クシーの体を持ち上げて抱えた。 「お嬢ちゃん、何処へ行くのかな」  アルヘナは血相を変えて彼に迫る。クシーの体はライエの手にスッポリと収まった。 「私の娘に触るな!」 「この村では食事は女の仕事だろう。この器量良しにさせよう。なあ、俺を先程の野鳥の肉で腹一杯にしてくれよ」 クシーは我が物顔で家に入り、アルヘナは再び傭兵団に捕えられる。 「トト、私は大丈夫」 「クシー」 「ああ、久々の鶏肉だ」  アルヘナを抑えていた傭兵たちがライエの後に続くが、ライエは彼らをひと睨みする。立ち止まる部下たちにライエは鼻息を鳴らす。 「お前らは外だ」 すると彼らから文句が続出するが、ライエが吠えると声が静まる。 「娘に何をするつもりだ」 アルヘナだけが勇敢に立ち向かおうとするが、屈強な男たちに抑えられて身動きが取れない。そんな情けない父をライエは嘲笑う。 「娘に感謝するんだな。お前ら、手荒な真似したら同じ目に遭わせてやるから大人しくしてろ」  クシーは家の床に下ろされ、すぐにライエから飛び退いて距離をとる。彼は彼で家の真ん中に陣取り、剣を外して横に置くと重い音にクシーは驚いた。初めて見る武器だった。包丁とも斧とも違うその形に、好奇心が抑えられない。  ライエは持ってみるかと片手で催促し、クシーは導かれるようにその柄を手にする。意地の悪い事にライエがすぐ手を離すので、クシーはよろめき落とすまいと抱え込んだ。 「わ、わ」 「落とすなよ。ガキには持てないシロモンだ」  クシーが辛うじて手渡し、前のめりになった彼女の頬に大きな手が添えられる。指が耳の縁を撫で、項を擦るとなれない刺激にクシーが目を閉じた。微かに赤くなった頬と伏せた睫毛に、ライエは女の陰りを感じる。 「やだ」  幼い小さな口から漏れた言葉に、ライエはえも言われぬ感覚に掴まれた。気づけば目の前に野鳥の毛皮を剥がした肉が煮立つ、鶏肉鍋があった。目の前で鍋を煮込み、器を渡され口にする。親の指導が良いのかセンスがいいのか、ライエは感心した。 「こいつはいいな。ほら、もう無くなった。もっとくれ」 「外の方々の分も必要でしょう。沢山食べ過ぎては駄目ですよ」 利発な物言いに舌を巻くが、ライエはスープを構わずかき込んだ。 「良い、良い。ああ沁みる。お前も食え。名は確か、クシーか」 「はい」 「本当にアルヘナの娘か。目の色が違う。あいつは栗色、妻は確か黒色だった」 「よくご存知で。私は拾い子です。本当の娘ではありません」 「拗ねるなよ」  座って淡々と告げるクシーに、汁を飲み込んだライエの熱い息がかかる。家の中で焚き火が燃え、黒い影が揺れる。大きな片方の影がクシーの顎を持ち上げ、その顔を値踏みするように見下ろした。その視線の鋭さに思わず逸らすと、歳若い顔つきに女性の色気がほんのりと浮かび上がる。 「な、なんですか」 怯える瞳に自身が映れば、ライエは舌なめずりをした。少し前から狙っていた獲物がすぐそばにあるのだから。 気づけば、ライエはその小さな口に己の口を重ね、舌をねじ込んだ。クシーの手が抵抗すると、その小さな体をねじ伏せて押し倒す。 「う、うん」 「はあ、はあ」  暫く大きな太い舌が細かい歯列をなぞる。そして舌を吸って口内を暴けば、大きな体の下でクシーの体が抵抗をした。 「ぅっ、やぁ、やだ」 「なんて小さい、柔い、この娘は」  口が離れる。可哀想に、クシーは震えていた。 「や、やめて、下さい」  濡れた瞳にライエは唸り声を上げて鼻を擦り付ける。恐怖で流れる涙を舌で舐め取れば、余計に震えが大きくなる。指が、彼女の腹を撫でた。 「初潮はまだか」 すりすりと円を描くように大きな指で撫でられる。 「ひ、ひ」 「いま幾つだ」 「六、です」 「後六年以上か。初潮を迎える前の女は抱いたことは無いが、一応唾でもつけておこう」 ライエは村の衣装を纏うクシーの服を引っ掴んで、小さな胸を目の前にさらけ出させた。彼は胸にキスをして吸い付き、赤い痕を残させる。 「ライエさん。やめて」 「ふふ、ライエさん、か。旦那様でもいいぞ。ぎゃっ」  ライエを突如襲ったのは、異変を感じて駆けつけてきたアルヘナだった。鬼の様な形相で鏃を肩に突き立て突き飛ばし、倒れたクシーを抱える。クシーもその瞬間に涙が止まらなくなり、大声で泣き喚いた。 「この獣が。この子に触るな。子供に盛るなんて下劣極まりない」  ライエは戦いたものの、すぐに体勢を建て直して不敵に笑った。 「大きくなったら攫いに来てもいいのかい」 「その前に俺がお前を殺してやる。二度とこの家に近寄るな」 「村から除け者にされるぞ。生きていけるのかい」 「知るものか。出ていけ。この子に近寄るんじゃない」  ライエはギラついた瞳でその場を去ると、アルヘナは震えるクシーを抱きしめた。彼女は暫く一人で眠れなくなり、山犬の遠吠えが聞こえてくると身を寄せあった。 「トト。ずっと一緒にいてくれる、私と」 「勿論だ。トトがついてる。あんな野蛮な男の事なんて忘れてしまえ。悪い夢だ。トトが追っ払ってやる」  アルヘナが優しく頭を撫でれば、ようやく震えが収まってクシーは眠りについた。それでもアルヘナは彼女を安心させるために背中を撫でる。そんな日々は、ある村の女性が野菜を差し入れたことで終わりを告げた。  アルヘナは食中毒であっさりと死んでしまった。クシーの齢が八つの時だ。墓に父の灰を納め、別れを惜しむ彼女の元に山犬が近寄る。 「可哀想に」  ライエだった。クシーは振り返らず、彼が横に座っても顔も向けはしなかった。 「立ち去ってください。身内だけの別れです」 「近所の仲間を呼ぶにしたって、除け者には誰も寄り付かんだろうさ」 「貴方のせいで父は」  クシーが怒りを抑えることが出来ず横を向けば、ライエが頬を掴んで離さない。 「怒った顔もいい。歪めば歪むほど色っぽいのは、魔性の性か」 「離せっ」  クシーは立ち上がり腕を引き剥がすが、それすらもライエは愉快そうに戯れた。 「俺とアルヘナは最期まで他人行儀だったが、前までは仲の良い間柄だったんだ。彼の奥さんにも良くして頂いた。君の身が心配だ、俺と共に来い。面倒を見てやる」  クシーは有り得ないと首を振る。 「貴方と父の関係は存じませんが、私はこの父の墓から離れません。この村で暮らしてゆきます」 「村の奴らは薄情だろ。家がもし燃えても、きっと助けてはくれない」 「私たちの家を燃やす気か」 「ものの例えだ。なあ、養父を慕う娘の孝行心は分かるが、君はここでは生きていけない。集団から溢れたら末路は餓死だ。まだ若いのに」 ライエの目が舐めるようにクシーの体を見る。幼いにしては発育の良い体に、彼が目をつけないわけがなかった。そして、その腕前と頭脳も是非欲しいところだ。 「貴方の慰み者になれと」 「難しい言葉を知っているな。感心だ、あの清廉潔白なアルヘナに教わったのかい」 「父を侮辱するな」  クシーの手を掴み、ライエが耳を寄せる。 「この村の奴らは俺の言いなりだ。俺が殺せと言えば殺す。馬鹿な連中さ。そんな奴らの所にいたら腐っちまう。俺がお前を手に入れる前に、他の連中にとって食われたら世話ない。心当たりが無いわけではあるまいな」  父がライエに暴力を奮ってから、村人連中が話しかけても存在しないように扱ってくることはあった。それが二年。ケーティはこっそり関わってくれたが、空気を読んで大体は他の連中に倣う。 「それは」 「俺の傍にいればおマンマは食える。命の保証は自分でして貰うしかないがな。どうする」  クシーの内心は決まっていた。この村で死んだように生きていくか、一か八か武勇を上げるかの二択。そんな時、遠くから聞き覚えのある声がした。 「ついて行っちゃだめだ。クシー」  ケーティだった。村の真ん中で大声で叫びながら近づいてくるが、すぐに親に捕まって止められる。 「馬鹿。やめろ」 「その男について行くな」  振り向くクシーの腰を掴んで引き寄せると、ケーティが顔を真っ赤にして手を伸ばしてくるが届くはずもない。 「賢明なお前なら分かるな。ああはなりたくないだろう」 「ごめん。ケーティ」  その日、クシーはライエ傭兵団に参加することになった。  クシーは振り返らなかった。これから先、もうこの村に戻ることもないだろう。
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