【十六年前の嵐の夜】

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 外は嵐で若い娘の足跡など残りはしまい。  「出ていってやる、こんな家」  大きな独り言も、雨音にかき消された。  彼女の生家は作物を売る商家だ。穀物を中心に、季節ごとに果物や野菜を流通させている。流行り(すた)りがない分、通年で儲けを出すが、天候によっては大損害となる。  彼女の幼い頃、長雨が続き穀物が不作の年があった。  不作の年は隣国から穀物を買いつけ流通させるのだが、家を継いだばかりだった彼女の父トビー・トーウェンは買い付けに出遅れた。  トーウェン家以外の商家は、比較的交流のある南国のダルターン国から買い付けを行い、かなりの高値で売りさばき利益を出していた。  国を(また)いで、さらに普段交流のない商家から買うとなると、手数料や税で手間分高くつくから、仕方がない。仕方が無いが、買えない者達は飢える。    トーウェン商会は仕入れに出遅れたことで、飢えた者達からの激しい要求に呑まれることとなった。  シュロ国にとっては敵国とも呼べるカヤロナ国を頼り、多額の借金までこさえて大量に穀物を仕入れ、いつもの値段をつけ貧しい者に施した。  トビーは善良であったが、商売人としては愚鈍であった。  飢饉(ききん)はしばらく続き、トビーが仕入れた品が飢えて死ぬ寸前だった人々を救ったが、トーウェン家はそれまでのようには贅沢のできない生活に甘んじなければならなくなった。  家族全員が身を売ろうが、土地を売ろうが、この代でカヤロナで作った借金の返済は叶わない。  トビーが払った犠牲は金銭のみではなかった。カヤロナの商家との間に、娘を嫁に差し出すという血判付きの誓約書を作って来ていたのだ。  アニー・トーウェンは精神的に脆弱(ぜいじゃく)な娘だった。  立てた計画を最後までやり通したためしがない。いつも穏やかそうにしているが、それは卑屈さ故であった。姉と比べられて落ち込んで、だからと言って向上心があるわけでもない。  容姿だけは優れていたから、いつか父が良い縁談を持ち込んでくるだろうと期待していた。    そんなアニーでも誓約書の存在を知った時には姉を失う心痛で眠れなかった。  誓約書には、娘が嫁ぐことで借金を完済とする、破格の内容が記されていたのだ。
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