<1・煙草の煙に落下する。>

2/3
前へ
/141ページ
次へ
 ***  この世の中で、一番金になるものは何か?  その答えは情報だ。大金を積んでも、情報が欲しい人間はごまんといる。ライバルを蹴落とすため。嫌いな人間を陥れるため。あるいは企業の株を落とすためだの、国を戦争に勝たせるためだの。  まともな親もおらず、スラムの路地裏で生きていくしかなかったアンダークラスのレネには何もなかった。子供だから腕力も体力もない。学校にも行っていないから学もない。唯一武器と呼べるのは、同じく娼婦だった母親から受け継いだ少女じみたこの顔と体のみ。特に長い黒髪と青い瞳は男達によく好まれたものだ。  だから最初はひたすら路地裏で、男達に体を売って生活していた。――状況が変わったのは、そんな自分を買うもの好きな貴族が現れたことである。 『美しい。掃き溜めに鶴とはこのことか。実に勿体ない……まるで舞台女優のような美しい顔をしているというのに』  これでも一応男である。女のよう、と言われても正直嬉しくはない。が、それが貴族にも売り物になるとわかれば話は別だ。  二年ほどその男に専属で飼われていた。そいつの目当てはあくまでレネの体であったものの、彼の良いところは性欲さえ満たしてやればあとは何でも欲しいものをくれたということである。暖かい家、食べ物、それから知識。もしこの男爵に飼われることがなかったら、レネは未だに文字を読むことさえできないままであったことだろう。  残念ながら男は持病が悪化して二年で亡くなってしまい、レネは再び闇の世界に戻らなければならなくなったが。二年の間、彼から教わったこの国と貴族社会の仕組み――それによって、レネの認識を変えるには十分だったのである。  本当に売れるものは体ではない。  そんな目に見えるものよりもっと高価に売りさばけるものがある――それが情報だと。  思えば路地裏で春を売っていた時からそうだった。気分が良くなると、客たちは本当にしょうもない話をたくさんしてくれたものだ。中には金になりそうなものもたくさんあったように思う。それを集めれば、ただ体を売るよりずっとたくさんの金を稼げる。生まれついた階級が全て決めてしまうようなくだらないこの国で、いつかのし上がっていくこともできるかもしれない。 ――やってやる。どうせ……ゴミの中で野垂れ死ぬしかないような人生だ。金を持ってる奴らから搾り取って何が悪い?  体を売ると同時に、言葉巧みに男たちから話を聞き出す。そして、その情報を欲しがっている奴に高値で売りつける。  十二歳になる頃にはもう、レネは闇の業界で有名な情報屋になっていた。今回もそう。ドルク・オドウッド子爵――この男が息子たちを空軍に入れるため、裏口入学させたという情報を入手した。そのやり方も全て吐かせた。軍の膿を出したい奴らにとっても、同じく裏口入学を考えている奴らにとっても、オドウッド子爵を忌々しく思う奴らにとっても重要な情報。  あとは、一番金を出してくれる奴に、それを売ればいいだけのこと。 「“マシンガン”ってお前のことか?」 「んん?」  今日もいつもの居酒屋で座っていれば、男に声をかけられる。マシンガン。切れ間なく致命傷になり得る情報を提供してくれる人間――そういう意味で、誰かが名付けたらしい。情報は、時にどんな武器より人の命を奪うもの。そう考えると、人殺しの武器の名前をつけられるのも皮肉がきいていて面白いではないか。 「誰のことだ、それ。知らないね」  レネは笑ってひらひらと手を振る。声をかけてきた男はそんなレネの右手に触れて、困ったように笑いながら言うのだ。 「ああ、悪い。ちょっと弾切れで困っていたから、ついな」 「俺は武器商人じゃないんだがね」 「そうだな。お前みたいなコドモが武器を売って歩いてたら世も末だ。戦争でも始まるのかと疑っちまうよ」 「ははは」  この会話が、そのまま合図だった。俺はにやりと笑って、男を店の裏手に誘うのである。彼は暗号をちゃんと知ってここにきた。ならば本物の客人だ。 「面白いなあ、あんた。雑談にくらい付き合ってくれよ」
/141ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加