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4-5 帰宅
その後腹ごなしに、手を繋いで周辺を1時間ほど散歩した。
この辺りはビルが多く、日曜の午前は空いていて歩きやすい。歩いてみるとよさそうな飲食店が何軒かあり、今度一緒に行こうと約束した。
彼のマンションに帰ってきた。
玄関で「お邪魔します」と言って入ろうとすると
「ただいま、でしょ」
と優しい顔で言われた。私は照れながら「ただいま帰りました」と小声で言う。
「うん、おかえり」
彼が微笑んでくれる。なんだかこそばゆい。
朝食も美味しかったし散歩もたくさん話せてすごく楽しかった。
でもあのベーカリー、人に聞いたと言っていたが店内に置かれていたグッズやメニューは女性向けの印象を受けた。男性一人でイートインで入るような場所だろうか。
散歩で見かけた飲食店も詳しかった。特に甘いもの好きというわけではないはずなのに洋菓子店の看板商品まで把握していた。
ネガティブな感情が暴走して彼の隣に女性の影を見せる。根拠もないのに。
仮に彼に恋人がいたとして、毎週末に他の女を家に上げ、体の関係まであるのはモラル的にあり得ない。
しかし我が家は特殊な家庭だ。次期東雲の後継者の妻になるものとして、事情を理解し受け入れる覚悟を持っているのかもしれない。
そんなことは考え難い。私なら嫉妬で狂うだろう。しかしそんな状況でも羨ましい。
兄妹になったあの日から私はその位置からもっとも遠い場所にいるから。
リビングでぼんやりしていると
「結構歩いたから喉乾いたんじゃない?」
とミネラルウォーターとグラスを持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「なんか今朝からぼんやりしてるね。考え事?」
「いえ、ちょっと昨日の余韻で」
私はミネラルウォーターに口を付けた。
「本当?何か気になることあるんじゃないの」
見抜かれたという動揺を隠し、笑顔を作って彼に向ける。
「そんなのないです。ベーカリーすごく素敵なお店でしたし」
「そう」
彼は立ち上がってどこかへ行った。
と思ったらソファの背もたれ越しに後ろからハグされる。思わず振り返ろうとしたら彼は耳の穴に舌を入れてきた。
「素直に話してよ。何を考えてたの」
少し低めの声で耳を攻めながら吐息混じりに耳元で囁かれ、鳥肌が立つ。
「きゃっ……何も無いから」
「何も無いのにあんな上の空だったの?悲しいな」
「やだ、くすぐったい」
彼は耳をひとしきり攻めた後、首筋に唇を這わせる。昨日知ったが私はくすぐったい時笑いが止められない。
「ふふっ……くすぐったいっ……やめて」
敏感な場所を攻められゾクゾクする。
「じゃあ話してくれる?」
「わかった、話すから。お願い1回止まって」
笑いながら降参してしまった。
「やった」
彼は攻撃をやめ、ソファの隣の席に戻ってきた。
「ふと思ったんです。もし兄様に恋人がいたら今のこの時間は兄様の大切な人を悲しませているのではないかって。そうだったら申し訳ないなって。今まで余裕が無くてそこまで思い至らなくて」
と言うのは建前で、本音は嫉妬だ。仮に今現在いないとしても、過去や未来の相手にも。
「なんだそんなこと。恋人なんていないよ。さすがにそんな人いたらこの話受けないよ」
ほっとしてため息をつく。
「そうですよね。変なこと言ってごめんなさい」
「ううん、俺が吐かせたから。でも何でそう思ったの」
何とか取り繕えないか、と思ったけど咄嗟には何も出てこない。正直に話す。
「いえ、このマンションの周辺のお店、すごく詳しいなと。誰かに教わったのかなって」
明確な根拠など何もない。ただ私の負の感情が暴走しただけだ。恥ずかしくてもごもごしてしまう。
「ああ、東雲不動産の担当者だよ。彼らは立地もすごく調べているからね。工事中ここに一緒に来る機会があってその時教わった。もちろん男だよ」
そうだ、ここは彼が携わったマンション。普通に考えたら分かりそうなのに。考えが浅かったことを後悔する。
「すみませんでした」
恥ずかしくて謝るしかできない。
「ううん、でも聞かせて。さっき申し訳ないって言ってたけどそれだけ?」
「え」
彼は少し意地悪な表情をして聞いてきた。
「嫉妬してくれたってことは無いの?俺に恋人がいたらやだなって」
「何のことでしょう」
もうこれ以上ダメージを受けるわけにいかない。本音が隠せなくなる。それでも彼の追及は続く。
「それも吐かせてやる」
彼はいたずらっぽい表情で抵抗する私を捕まえて寝室に連れて行った。
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