6-5 経緯

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6-5 経緯

 行為が終わっても胸がいっぱいでなかなか動く気になれない。二人で裸のままベッドの中で横になっている。 「彩音、おいで」  彼が腕枕に誘ってくれた。彼の方に向いて体をぴったりくっつける。彼の体温がとても心地よい。   「彩音、ごめん。今日感じ悪かったよね」 「ふふっ。せっかく想いが通じたのにそれ掘り起こすの」  クスクスと笑うと彼がムッとした目を向けてきた。 「だって気にするよ。こんな形で気持ち伝えることになったし」 「じゃあ教えて。どうして機嫌が悪かったの」  上目遣いで彼を見つめる。彼は視線を天井に移した。   「あの指揮者の方が彩音にとって魅力的なんじゃないかって思って……色んな世界知ってそうだし。俺は教育のために彩音といるだけだし焦っちゃって」  彼がぼそぼそと話す。正直に話してくれたのは意外だった。 「板倉さんかぁ。魅力を感じる人は多いかもしれないけど私はそうでもないかな。やっぱり東雲は大事だし」  彼が再度私の方に視線を戻す。 「洗脳って思われるかもしれないけど、東雲に誇りはもっているから。明治維新からずっとこの国の経済や技術の発展に貢献して、動乱の時代を生き抜いてきた。微力だけど私もその一族として出来ることがあればやりたいと思っているの」  例えそれが政略結婚だとしても。 「うん」 「だから新しい世界に行きたいとか思わない。将来は分からないけどね」  なるべく明るく笑いかける。  彼が東雲の事をどう思っているか分からないが、自分の意志で東雲に貢献したいということを知って欲しかった。 「そっか」  彼が抱きしめてくれる。 「体冷えてきちゃったね。服着て寝よっか」 「うん、でももう少しだけこうしていたい」  私も抱きしめ返す。  もう少しこのまま、今だけでもこの幸せを嚙み締めよう。      いつもの時刻に起きるとソファーで彼がパソコンを開いていた。彼は微笑みを浮かべながら「おはよう」と声を掛けてくれた。 「おはよう。コーヒーもらうね」  すっかり使い慣れたコーヒーメーカーでカプチーノを淹れ、彼の隣に腰を下ろす。   「大分朝寒くなってきたね」 「うん。暖房も付けてるけどもう少し厚手の寝間着を用意した方がいいね。今日買いに行く?」 「あ……」  もう学園祭まで時間がない。帰ってピアノの練習をしなければ。 「そっか。ピアノの練習しなきゃだね。本番も近いし」 「どうして分かったの」 「気まずそうな顔したから。ねえ彩音、オケの練習の日は家の車で帰ってくれるかな。安心するから」 「わかった」  彼はいきなり顔を近づけてきて軽いキスをくれた。 「少しゆっくりしたら朝食にしよう」 「うん」  不意打ちのキスが照れ臭く、俯いてカプチーノに口をつけた。  彼が作ってくれた朝食を食べ、二人で片付けをして一息ついたところ 「彩音、ちょっといいかな」  ダイニングテーブルの椅子に座っている彼に呼ばれた。 「うん」  向かいの席に座る。改まった雰囲気に緊張する。  彼が意を決したように口を開いた。  「実は教育係は俺が申し出たことなんだ」 「え」 「出会った頃、君は14歳でさ。まだ中学生なのに俺よりずっと背筋が伸びて凛としていて東雲の人間としての覚悟を持っている。俺ってガキだなーって思わされたよ」 「それは東雲に生まれたから」 「うん、でも俺は本家に男子がいないからお前が後継ぎになるかもって言われていたんだ。実家でも東雲に入ることを見越した教育はされてきたし、そこそこ出来る人間という自信もあった。でも君の姿を見て甘かったなって」  初耳だ。例えそうだとしても財閥の跡取りになる実感が持てる人間などいるだろうか。 「甘いだなんて。いつも私に気を使ってくれて、跡取りとしても完璧に振る舞っていたわ」 「そんなことないよ。仕事や人間関係で嫌なことや上手くいかないことも沢山あった。でも君の姿を思い浮かべて乗り越えた。こんなことでへこたれてられないなって」  当時彼は就職したばかりで、働くだけでも大変だったと思う。  それに加えて東雲の人間として社交をしてプレッシャーもかけられ、あの屋敷で暮らす。気の休まる時がほぼ無かったのではないか。   「それで東雲建設に入って下っ端だったけどこのマンションに携わって。父さんから初めて関わった仕事だから住む側としても勉強しろって言われて住み始めた」 「それで家を出たの」 「うん。でも今考えたらそれは一番の理由では無かったかな。仕事や将来への責任感もあったけど君がどんどん成長して綺麗になって、芽生える気持ちを抑えるのが辛かった。君から逃げたんだよ」  胸がぎゅっとなった。私も叶わない片想いをしていたので分かる気がした。 「そしたらさ、父さんから彩音の教育係の当てはないかって連絡がきた。心臓が飛び出るかと思ったよ。すぐに本社へ向かった」  くすくす笑いながら彼はその時の様子を話してくれた。
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