6-6 約束

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6-6 約束

「そんな時代遅れな習わし今すぐやめて下さい」  グループ大本営、東雲本社の社長室。 「急にやってきたと思ったら。こう見えて忙しいんだぞ」 「何故まだ本家は教育制度をやっているのですか。婚姻で事業拡大なんて既に昔のものではないですか」  父が手を組みデスクに肘をついて見上げる。 「とは言っても我々は財界で常に注目されている。ボロを出さないか、つけ込む隙がないか監視されている。嫁いだ先で不義理があれば格好の餌を与える事になる」    嫁いだ先。そうだ、この教育をやめさせたとて彼女はいずれ他の男の物になる。俺の伺い知らない所で勝手に決まって手の届かない存在になるかもしれない。そう思うといてもたってもいられなくなった。 「だったら、私が彼女の教育係をやります。やらせてください。お願いします」  必死の思いで頭を下げ、父の返答を待つ。 「お嬢さんを下さいみたいだな。まあいい、条件がある」   「必死だったんだよ。君が他の誰かのものになるって急に現実味が出てきちゃって。でもひとまず他の男が当てがわれることは防げた」 「分家は無かったの?」 「無いよ。兄貴も普通に同級生と恋愛結婚したしね」 「そう……」  脱力して息を吐く。そうか、分家は無かったのか。出会った時既に彼は成人していた。昔のことをとやかく言う権利など無いが何故かホッとした。   「君の為には制度をやめさせて、自由な恋愛をすることが一番だと分かってた。でも俺はこのチャンスを手放すことはどうしても出来なかった。ごめん」  そんな風に罪悪感を持つ必要はない。むしろ私は彼が東雲に逆らえない事をいいことにこの制度にのった。私に責める資格はない。   「嫌なら自分で行動するべき事だわ。あの時私はあなたへの恋を諦めていて、言われるがままになってたはず。今一緒にいられるのはあなたのお陰よ」  すると彼はふっと笑う。 「君は優しいな。で、その条件なんだけど当時途上国のODAのコンペを数社合同でやってたんだ。それでいい働きをしろって」  目眩がするほどのビッグプロジェクトだ。確か受注額が数百億ではなかったか。そんなもの引き合いに出すなんて。 「大きい仕事だから色々意見が合わなくて、連携する会社や現地の人たちの間を駆け回って解決策を模索した。コンペはみんなの勝利だけど功績が認められて常務に抜擢された」  後継者として相応しい器であると結果で知らしめ、飛び級昇進への反発も多少は抑えられるという父の目論見だったのか。   「その後屋敷の父さんの自室に呼ばれてさ、お前そんなに彩音が好きなら惚れさせてみろって」  え、それって父は私達が結ばれても構わないということだろうか。驚きで目を見開く。   「実はね、俺まだ養子縁組してないんだ」 「うそ、初めて会った時」 「うん、当初は説明された通りすぐ縁組する予定だった。でもいくら分家とはいえ経営者としての資質があるとは限らない。縁組は何年後かに本社に異動する時にって言われた。父さんは俺に会って不安になったのかもね」  話しながら彼は目を伏せた。  決まっても無いのに周囲から後継者として期待や嫉妬を受けながら、東雲の為に身を粉にして働いていたということか。  父がここまで非情な人間だったなんて。ショックで言葉が出ない。   「でも縁組してなかったから、俺達は結婚出来る。戸籍も血筋も離れているし約束通り彩音に好きになってもらえた」  穏やかな微笑みを私に向ける。   「うん。ずっとずっと好きだった。兄妹じゃ無ければって何度も思った」  思わず涙が一筋流れた。東雲の人間は涙を見せない様躾けられているのに。慌てて手で拭う。 「我慢しなくていいよ。俺達だけの時は家とか責任とか関係ない。ありのままでいてよ」  涙を拭いながら頷く。隣の席に移動してきて頭を抱えて撫でてくれる。   「ありのままの彩音の隣にいたい。君がありのままで居られる場所になりたい。君が背負っているものを俺も一緒に背負いたい」  思わず顔を見上げる。彼は頭を抱えていた手を外し、真っ直ぐ私を見た。   「彩音、俺と結婚して下さい」  涙がまた溢れてきた。泣きながら精一杯笑顔を作って答える。 「はい」  喜び、驚き、やるせない気持ち。色々な感情が入り混じる中、かろうじてその言葉を振り絞った。  それでも彼と一生を共にする未来に迷いはなかった。   「今度一緒に父さんへ報告に行こう」  彼は私の顔に手を添えキスで涙を拭ってくれた。   「すっかり話し込んじゃったね。落ちついたら家まで送るよ」  彼はしばらく無言で私の頭を撫で続けてくれた。
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