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1 月夜の出会い
おれがその奇妙な老婆に出会ったのは、いまから三十年前のことだ。
季節は秋のなかごろで、十三夜の月が出ている晩だった。
場所は、S県O市にある、O駅の西側の街なかだ。
そこは、いまでこそ再開発されて、大都会のような街並みになっているが、当時はまだ、小さな家や商店が建ちならんで、ごちゃごちゃした下町の雰囲気があった。
おれは会社での仕事を終えて、O駅から歩いて十分ほどのところにあるアパートに帰るところだった。
狭い路地をなんども曲がり、両側に小さな住宅がならぶ、少しだけ広い道に出た。
青白くともった街灯が、ぽつんぽつんと道路わきに建っている。その街灯と街灯の中間くらいのところに、大きめの、ほのかに白いかたまりが鎮座していた。ブロック塀の前だ。
おれは初め、粗大ゴミでも置いてあるのかと思った。
だが、違った。
近づいていくと、月光に照らされて、意外によくわかった。
人がうずくまっているのだった。
白っぽい服、あるいは、灰色の服を着た、女性だった。上はセーター、下はズボンだ。
女性が顔を上げて、おれを見上げた。
ドキッとした。
老婆だった。
八十歳くらいだろうか。あるいは、もっといっているかもしれない。
髪はまっ白だ。月光は明るいものの、人相の細かなところまではよくわからなかった。ただ、眼だけは、月の光を反射するように、ギラギラと光っていた。
ヤバい、とおれは思った。なぜか、そう思った。
老婆が、のそりと立ちあがる。
おれのことをじっと見つめたまま、その口がもごもごと動いた。
――とうとう見つけた。
そう言ったように思った。
同時に、おれの胸に、
(見つかってしまった)
というおびえが走ったのだった。
老婆がすっと手をさしだしてきた。
おれは、本当は後じさりしたかった。なのに、なぜか、その手を取らないといけない気がした。
実際、おれはそうした。
生あたたかくて、ぬめっと湿った手だった。
気持ち悪かった。
でも、離すことはできなかった。
(もう、自分の意思で離すことはできないんだ)
そんな理不尽な確信が、頭のなかに湧きあこった。
おれは老婆の手を引いて、とぼとぼとアパートへの道を歩きはじめた。
頭上には、雲と雲の間から、十三夜のいびつに丸い月が、妙に赤い光を、地上にふりそそいでいた。なまぬるい風、というより、なまぬるい空気のかたまりが、おれのほほをなぶって通りすぎていった。
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