1 月夜の出会い

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

1 月夜の出会い

 おれがその奇妙な老婆に出会ったのは、いまから三十年前のことだ。  季節は秋のなかごろで、十三夜の月が出ている晩だった。  場所は、S県O市にある、O駅の西側の街なかだ。  そこは、いまでこそ再開発されて、大都会のような街並みになっているが、当時はまだ、小さな家や商店が建ちならんで、ごちゃごちゃした下町の雰囲気があった。  おれは会社での仕事を終えて、O駅から歩いて十分ほどのところにあるアパートに帰るところだった。  狭い路地をなんども曲がり、両側に小さな住宅がならぶ、少しだけ広い道に出た。  青白くともった街灯が、ぽつんぽつんと道路わきに建っている。その街灯と街灯の中間くらいのところに、大きめの、ほのかに白いかたまりが鎮座(ちんざ)していた。ブロック(べい)の前だ。  おれは初め、粗大ゴミでも置いてあるのかと思った。  だが、違った。  近づいていくと、月光に照らされて、意外によくわかった。  人がうずくまっているのだった。  白っぽい服、あるいは、灰色の服を着た、女性だった。上はセーター、下はズボンだ。  女性が顔を上げて、おれを見上げた。  ドキッとした。  老婆だった。  八十歳くらいだろうか。あるいは、もっといっているかもしれない。  髪はまっ白だ。月光は明るいものの、人相の細かなところまではよくわからなかった。ただ、眼だけは、月の光を反射するように、ギラギラと光っていた。  ヤバい、とおれは思った。なぜか、そう思った。  老婆が、のそりと立ちあがる。  おれのことをじっと見つめたまま、その口がもごもごと動いた。  ――とうとう見つけた。  そう言ったように思った。  同時に、おれの胸に、 (見つかってしまった)  というおびえが走ったのだった。  老婆がすっと手をさしだしてきた。  おれは、本当は後じさりしたかった。なのに、なぜか、その手を取らないといけない気がした。  実際、おれはそうした。  生あたたかくて、ぬめっと湿った手だった。  気持ち悪かった。  でも、離すことはできなかった。 (もう、自分の意思で離すことはできないんだ)  そんな理不尽な確信が、頭のなかに()きあこった。  おれは老婆の手を引いて、とぼとぼとアパートへの道を歩きはじめた。  頭上には、雲と雲の間から、十三夜のいびつに丸い月が、妙に赤い光を、地上にふりそそいでいた。なまぬるい風、というより、なまぬるい空気のかたまりが、おれのほほをなぶって通りすぎていった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!