裏切り者なキューピッド

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 夕方の駅前は、金曜日のせいかいつもより人通りが多かった。学生たちのグループや会社帰りの社会人たちの間に、肩を並べて歩く男女の姿が何組かいる。私は、そんな彼らを眺めながら、ふんっと鼻から息を吐いた。目の前を行くカップルの女の方が、男の腕に手を絡めたからだ。(平日の夜なのに、浮かれちゃって!)と言うのは(ひが)みでしかない。そう分かっていても、気に食わないものは仕方ない。彼らの横をキャリーケースを引っ張るスーツ姿の男性が追い越してゆく。  私がその時、握りしめていた右手を拳銃の形にして声に出さずに「バン!」と撃つフリをしたのは、気まぐれというか反射というか、気晴らしというか、まぁ、魔がさしたのだった。やってしまってから(私ったら何やってるんだろ)と、自分の行動の子供っぽさに苦笑いしていると、恋人と腕を組んでいたはずの女がパッとスーツの男性に抱きついた。 「キャッ、素敵な人。私と付き合って!」  男性がギョッと立ち止まる。女は狼狽える彼の首に両腕を回して熱烈なキスをした。もちろん、唇に。この間何秒もかかっていない。  目の前で突如恋人に心変わりされたカップルの男が、 「おい! なんなんだ一体!」 と、スーツの男性から女を引き剥がそうとする。女はついさっきまでいちゃついていたはずの相手を、目を吊り上げて睨んだ。 「あなたとはもう別れるわ!」  ピシャッと頬を叩かれた男が怒って反対方向へ行ってしまうと、女はスーツの男性にベッタリとしなだれた。男性の方もまんざらでない様子で、二人して駅構内へ入ってゆく。  突然の痴話喧嘩とカップル成立の光景に唖然としていた人たちが、二人がいなくなった途端、何事もなかったように動き始める。 (呆れた。最近の子ってあっさり乗り換えるのね)  私は肩をすくめると、親友と待ち合わせている店に向かって歩き出した。
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