怪しい名探偵 第8回 あじさい色の人生

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 自称名探偵・丸出為夫(まるいでためお)……あいつはいったい何者なんだ?  池袋(いけぶくろ)北警察署刑事課強行犯捜査係(通称・捜査1係)の海老名(えびな)忠義(ただよし)の探求は続く。丸出は強行犯でもなければ窃盗(せっとう)犯というわけでもない。たとえ窃盗犯であったとしても、なぜか署内の妙に腐った空気で漂白され、全てがなかったことにされてしまう。  簡単に言えば、丸出は警察に取りつく疫病神(やくびょうがみ)。探偵としての能力は全くないどころか、警察の真面目な捜査を妨害してばかり。だが色々な刑事の秘密を知っている。海老名の酒気帯び運転のことまで知っているのだ。池袋北署の刑事だけではない。警視庁本庁の刑事たちの秘密まで知っている。そうやって色々な刑事たちの弱みを握って、自分の手下として従えているのだった。その目的は他でもない。自分も捜査に加わりたい、名探偵としての名声を極めたい、という他愛のない目的。  他愛がないが、どうにも不愉快だ。まるで熱い雨が身体中にまとわりつく今の季節のように。これはミステリーなんてもんじゃない、ある種のホラーの世界だ。あいつがいなくなれば世の中は(にご)りがなくなり、きれいな清水が流れていくようになるだろうに。これでは足元を汚していく泥水のようなものだ。  そこで海老名は丸出の身辺調査を始めた。まず奴がどこに住んでいるのかはわかっている。池袋駅前の精神科「わどメンタルクリニック」。だがそこに奴の住民登録はなかった。そもそもこの丸出為夫、戸籍上は存在していないのだ。  丸出為夫というのは偽名か? 確かに「まるでだめお」とも読めるような変な名前が、この世に存在するとは思えない。なぜ奴はこんな変な名前を名乗っているのか? 意図的なのか、天然なのか、わからない、あいつのことがますますわからなくなってきた。あいつはいったい何者なのか?  そこで海老名は方針を変えることにした。こっちの方から変な(うわさ)を流して、逆に奴を(いぶ)し出してやれ。  わどメンタルクリニックの経営者である精神科医の和戸(わど)(たける)三船敏郎(みふねとしろう)に似た強面(こわもて)の見た目とは裏腹にオネエ言葉を話す変人。この変人と丸出とは親友であるとのこと。この2人は(実際はそうではないらしいが)ゲイであり、夜な夜な妙なよがり声をあげている、との噂を海老名は至る所で流し始めた。もし何かあっても海老名の同僚の女性刑事・新田清美(にったきよみ)のせいにすればいい。BL漫画にはまっている新田は、この種の噂をまき散らすのが大好きなのだ。男同士で仲良くしているのを見て、あの男とあの男は実は愛し合っているのだ、とか何とか。日頃から変な噂を垂れ流していることに対して、いい天罰にもなるだろう。  その効果は高かった。もっとも丸出を困らせるつもりが、新田を困らせる結果となってしまったが。ある日、新田が血相を変えて海老名の席の前に立ちはだかった。  「エビちゃん、わどメンタルクリニックって知ってるでしょ? あの丸出のおじさんが住んでるクリニック。あそこで変な噂が流れてるの。あそこの医者の和戸尊と丸出のおじさんとが愛し合ってるって噂。あの噂を流したの私じゃないかって、おじさんが言ってたわよ。でも本当はエビちゃんなんでしょ? 私、迷惑してるんだから。あのクリニックであの2人が小学生の男の子を連れ込んで、いたずらをしてるんじゃないかって噂まで流れてるの」  そんな噂まで流れているとは海老名は知らなかった。もちろん海老名が流しているわけではない。どうやら噂が1人歩きしている間に余計な尾ひれまで付いてしまったようだ。  「俺は全然知らないね。あいつらとは関わりにもなりたくないし。500メートルくらい透き間を開けておきたいんだけどね」と海老名は空とぼけた。  「本当に? でも丸出と和戸が愛し合ってることはエビちゃんだって知ってるじゃん。あの2人だけが被害を(こうむ)るだけならともかく、子供まで巻き込まないでくれる? 洒落(しゃれ)にならないから」  子供まで巻き込まないでくれ……か。
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