終曲/帰省

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 まだ前期が終わっただけなのに、音楽面でもその他のことでも、随分多くのことを学んだ気がする。落ち着いてしまうのは良くないが、三喜雄はとりあえず満足していた。飲み会の時に皆で話したように、後期は何か自分自身の目標を立てたほうがいいだろう。曲をきっちり仕上げるとか、そんな当たり前のことではなく、もっと声楽家としての成長が見込めるような、具体的な目標。 「『その子が優しくキスしてくれたら、彼女は俺の女房になって、俺は彼女の旦那になろう』……」  勝手に口をついて出たパパゲーノのアリアに、三喜雄は首を傾げてしまう。この歌は好きだが、どうして今浮かんだのだろうか。少なくとも帰省を控えて、浮かれているのは確かだ。  鳥刺しのパパゲーノが可愛らしい小鳥を籠いっぱいに捕えるように、楽しい記憶と歌をいっぱい身体に詰めて帰り、札幌で会う家族や同級生たちに話してやるのだ。俺は最高のオタサーで、元気に楽しくやっているから、心配しないでほしい。あ、誰も心配はしてないかな。これでもいろいろきつかったんだけど。  後期の真面目な目標はすぐに見つかりそうにないので、三喜雄は考えるのをやめた。亮太のところに行って、夕飯の準備を手伝うことにする。冷蔵庫から2個のピーマンと半分のニンジンを出してナイロン袋に入れ、鈴のついた鍵を取り上げる。三喜雄はキッチンの明かりを落とし、玄関でスニーカーに足を入れた。  オタサーの活動は、これから幕間の、長い目の休憩に入る。大好きな故郷での夏休みの始まりだった。 《彼はオタサーの姫 おわり》
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