番外編 姫との夏休み

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「おい片山、俺は警告したはずだ、あの肉食女に近づくなって」 「太田さんと2人きりじゃないよ、北島さんと坂東(ばんどう)さんと4人で、上野公園の中でお茶したんだ」  ソプラノの坂東美奈(みな)は歌曲コースを選択しているため、三喜雄と授業で良く接触している。紗里奈のような危険人物ではないと天音は判断しているが、歌手らしい気の強さは紗里奈に負けておらず、曲の解釈で先生と意見がぶつかると、論破しにかかることもある。  天音は三喜雄の童貞チックな暢気さが当初心配だったが、声楽を学ぶ学生は女性が圧倒的に多いのは北海道の教育大学でも同じだっただろうから、案外女の扱い(この場合、スルーする技術を指す)に慣れているようだ。  イチョウ並木を抜けたので、続いてポプラ並木に向かった。イチョウとかなり趣の違うそこは、台風で倒木して以来、通り抜けが制限されている。一度自転車を停めて、風景を楽しむことにした。  周りには誰もおらず静かで、緩い風が吹くとざわざわと葉が鳴る。緑の匂いが鼻腔をくすぐるが、そこに不快な湿気は無い。三喜雄はイチョウよりも背の高い、青々としたポプラを見上げて、わ、と声を立てた。 「おまえここ初めて?」  天音が訊くと、三喜雄はうん、と頷く。 「きれいだな、芸大の周りの木より大きくて壮観だ」  芸大の周辺にもイチョウなどの大木は多いが、ポプラは高さが違う。青い空が近く見えた。 「『こっち向いて笑って、照れないでsmile, smile, smile』……」  三喜雄が楽し気に歌い始めたので、天音は笑ってしまう。北海道出身のユニットの有名な曲だが、男が歌うのを聞いたことが無かったからだ。 「『早起きで出かけよう、ツユクサにつくしずくが消えない、うちに』」  三喜雄はこちらに背中を向けて、子どものように頭を軽く左右に振りながら歌う。何気に難しいこのユニットの曲を、リズム通りに一音も外さず歌うのは流石である。放っておくと最後まで歌いそうなので、天音はちょっと突っ込むことにした。
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