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序曲/上京
「目一杯歌ってきなさい、僕の知ってる先生がたには皆連絡しておいた」
師の言葉に三喜雄は苦笑が出そうになったが、堪えた。この狭い業界ではそれが当たり前で、これも師の優しさだと、今や理解しているつもりである。
「今まで本当にありがとうございました、あ、でも、これからもよろしくお願いします」
この人の指導が無ければ、自分みたいな素人が賞なんか貰える訳が無かったし、国内最高の芸術大学の大学院に絶対に受からなかったと思う。それ以前に、歌って生きて行くという選択肢が、三喜雄の人生に入りこんでくることは無かっただろう。三喜雄は深々と、藤巻陽一郎に頭を下げた。
「東京には年に何回か行くから、その時は声を聴かせてください……国見さんからも進捗状況は聞くけどね」
三喜雄は東京に行くにあたり、高校2年生の時から6年間教えてくれた、このベテランのバリトン歌手の許から、一旦巣立つことになる。国見とは、東京で声楽を教えている藤巻の先輩で、門下生はそんなに多くないが、コンクール受賞者や留学経験者をコンスタントに出しているという。
藤巻は現在、演奏活動の傍ら、札幌の自宅で三喜雄を含む5人の生徒に教えている。三喜雄が習い始めた頃、まだ個人指導で後進を育てる気は無かった藤巻だったが、高校の同級生である三喜雄の父から、息子が教育大学の音楽専修科に行きたいと言い出したので、何とかしてやってほしいと頼まれた。
父は大学受験が終わるまでのつもりで、三喜雄を藤巻に預けたのだったが、気がつくと三喜雄はずっと藤巻の世話になっていた。不出来な生徒で苦労をさせたことが、本当に申し訳なかったと三喜雄は思う。
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