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「ピンカートンは最終的に蝶々さんを不幸にしてしまうけど、彼なりに彼女を大切に思ってるよね?」
「……はい、そうだと思います」
「ならピンカートンの人としての温もりみたいなのが欲しいな、エロスでなくていいから……そういうものがいつも塚山くんには足りない」
いつも? つまり俺の歌は、人間味が無くて冷たい、ということか。天音の頭の中がじわっと真っ白になった。杉本は続けて、瑠美に話す。
「北島さんは全体的に遠慮し過ぎだな、塚山くんが相手だからなのかな」
天音がちらっと瑠美を見ると、彼女が肯定しているのがわかった。
「蝶々さんは日本女性的に控えめであっても、決して弱気な流される女性じゃないでしょう? だからピンカートンも惹かれていくんだよね?」
瑠美は諦めたように、はい、と呟いた。
「じゃあもっと強気でいこう、北島さんの遠慮は、演じられるキャラの幅を狭めてしまうよ……オペラはヒロインのものだからね、タイトルロールで大劇場の座席を全部埋めるくらいの心意気みたいなのを、今回見せてほしい」
すっかり意気消沈したペアに、杉本は笑いかける。
「わかるね? 2人に似合ってるけれど弱点が炙り出される場面をあてたんだ、歌えて動けるなんて君たちには当たり前なんだから、より奥深くを目指しなさい……今のまんまじゃ、お上手でしたねぇ、で終わって、お客さんの心に何も刻めないよ」
天音の耳には、杉本の言葉の最後のほうは届いていなかった。指摘されたことは、どれだけ楽譜をさらっても身につかない種類のものだとわかっていた。
研究室を出ると、瑠美はぽそっと言った。
「私が相手じゃあ、塚山くんも盛り上がらないよね」
「そういうこと言うなよ」
天音は即答した。彼女の言葉も事実だが、おそらくそれ以前の問題である。歌い手としての根幹を揺さぶられて、天音はこれまでになく動揺していた。
「今日は自主練はやめておこう、お互いキャラの練り直し……それでもし動きを変えたくなったら、明日直接言って」
天音が言うと、瑠美は了解、と力無く微苦笑した。
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