第4幕/おっさんフィガロとときめくピンカートン

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◇第6場◇  オペラ基礎クラスの実技試験を控え、教室にはぴりついた空気が漂っていた。受講者はこれから、5人の教員が並ぶ前で1組ずつ演奏するのだ。終われば、勉強のために他の組の演技を観る。場面に必要な小道具は自分たちで用意し、化粧や衣装は採点外だが、役柄にある程度相応しい姿をつくるのが、暗黙の了解だ。  新婚初夜を迎える若い日本人女性の役に合わせ、薄めのメイクの瑠美は、髪を結い上げ、淡い色の浴衣と足袋を身につけていた。先週から浴衣で練習している瑠美が、着付けも帯結びも自分でてきぱきするのを見て、蝶々さん役は大変だと天音は思う。天音も今日は髪を撫でつけ、白系シャツにスラックス姿で、足元は舞台用の革靴である。 「サリと片山くん何か素敵じゃん、めちゃフィガロとスザンナっぽい」  瑠美の言葉に、天音は件のペアに目をやる。三喜雄には少し天音がアドバイスしたのだが、思った通り、暗い色のジャケットがあるほうが良かった。だがシャツは襟元を広めに開け、髪も毛先を跳ねさせ、ラフな感じを出す。フィガロは貴族ではないからだ。  紗里奈はチャコールグレーの膝丈ワンピースに、皺のない真っ白なエプロンを合わせ、髪を編んで結い上げていた。小道具にボンネットを使うので、髪飾りはつけていないが、上品なメイド感を上手く醸し出している。  こういう場面で天音はいつも歌い手女子たちに感心する。彼女らは役に合う衣装やアクセサリーを探して、時に手作りし、メイクも役に合わせ変えてくる。コスプレイヤー顔負けだ。こういう作業が好きでないと、きっとオペラ歌手は務まらない。  軽い緊張を覚えつつ、天音がハミングで音をさらっていると、楽譜を見ていた瑠美がこそっと話しかけてきた。 「ねえ塚山くん、新しい彼女できたんだ」   天音は思わずハミングを止める。 「えっ? それどこからの情報?」  心底驚いて訊くと、瑠美はほとんど色を乗せていない唇に、にんまりと笑いを浮かべた。
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