第4幕/おっさんフィガロとときめくピンカートン

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 瑠美の読書が偏向気味であるのは、学部生時代から有名である。天音は男同士が好き合うことに対して偏見は無いつもりだが、自分の三喜雄に対する気持ちが恋愛感情だとは思っていないし(たとえ紗里奈からキモいと言われようとも)、オタク女子の妄想恋愛と同列に置かれることには抵抗があった。  しかし困ったことに、瑠美は胸の前で両手を合わせてうっとりとする。 「ああ私、こんな近くに尊いカップルがいるのに今まで気づかなかったなんて……」 「違う! 俺と片山はそういうのじゃない!」  天音の声のボリュームが上がったので、近くに座る者がちらっとこちらを見た。三喜雄を盗み見すると、楽譜片手に紗里奈と最終確認中だった。瑠美との会話は聞こえていないようなので、胸を撫でおろす。瑠美はいひひ、とやけに楽しげに笑った。  その時杉本教授が立ち上がり、皆の注目を促した。 「ではこれから演奏を始めてもらいます、歌い終わって挨拶するところまでが演奏と思ってください……道具の移動は速やかにね、余裕のある人は手伝ってあげましょう」  天音は気持ちを引き締めた。プログラムは決められており、蝶々夫人組は最後である。当然だ、真打ちの出番は最後と決まっている。技術的な不安はほとんど無い。  ただ、自分たちの前がフィガロ組なので、観客の目と耳を奪うことが得意なあの化け物ペアの余韻を、如何に早く掻き消せるかが鍵となるだろう。掴みが上手くいけば、密かに攻める蝶々さんとときめくピンカートンは、きっと波に乗れる。  その時、楽譜から顔を上げた三喜雄と目が合った。彼はきれいな形の目に真剣な光を湛えていた。天音に真っ直ぐ視線を送ってきて、ちょっと口角を上げてみせる。こいつほんと、高3の時は俺に絡まれてびびってたのに、生意気になったな。天音はわくわくする。こいつには絶対に負けない。 「ではボエーム組、お願いします」  試験官の声に、「ラ・ボエーム」の第3幕最後の四重唱を歌う4人が、緊張の面持ちで立ち上がった。ピアニストは楽譜を広げて、彼らのスタンバイを見守る。  前期で最も大変な試験が、始まる。
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