本編

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 一見ごく普通の会社員・サイトウハジメには、ただひとつ他の追随(ついずい)を許さない特技とでもいうべきものがあった。それは、 「いやぁ、元気いっぱいなお子さんですねぇ!」  出会った周囲の人やものの、良い部分ばかりをひたすら見つけまくるということである。  サイトウが今話しかけたのは、通行中にはしゃいでぶつかってきた小さな子供に対してである。まあこの程度で済むなら、親御さんが申し訳なさそうに頭を下げていって終わりなのだが、サイトウという男はとにかく加減という言葉を知らなかった。  飼い主と散歩中の犬に吠えつかれようものなら、 「なんとまあ忠義心あふれるワンちゃんだ! 素敵ですねぇ!」  商店街でボロボロの八百屋を見たら店主に対して、 「この店構えは歴史の積み重ねというものを感じますねぇ!」  と、こういう有様で一周回ってもう殆んど慇懃無礼(いんぎんぶれい)の領域であった。  ところがサイトウ本人は、あくまでも善意に基づいて『良いところ探し』をしているつもりだから、どうにも始末が悪い。  挙句には横幅のあるマダムに出くわすなり、 「どっしり構えられてますねぇ! 実に頼もしい雰囲気の奥様だ!」 「太ってるって言いたいのかい? ほっといて頂戴(ちょうだい)よ!」  などと余計なトラブルを誘発することもまあ、珍しくないのだった。  とはいえ、こんな男でも会社の営業部ではそれなりに重宝がられて、気が付けば『褒め殺しのサイトウ』などという呼び名を頂戴して成績上位に食い込んだりしていた。  そんなサイトウが朝、いつものように自宅から最寄り駅に向かっての交差点を渡っていると、 「バッキャロー! どこ見て歩いてやがんだっ!」  けたたましいクラクションがして、サイトウが慌てて飛び退いたところにブレーキ音と共に一台の白い軽トラが急停車した。運転席から顔を覗かせたのは、二の腕に刺青らしきものをチラつかせた色黒でスキンヘッドな、人相のけわしい男である。まあ誰がどう見てもカタギの人間には思われない。 「ぶつかったらどうすんだ、死にてえのかっ!」  運転手の主張に反して、信号は歩行者優先の状態であった。ところがサイトウ、こんな時でもお得意の『良いところ探し』を発揮して、 「実に豪快で、男らしい御仁(ごじん)ですなぁ。自らの信じる正しさに対して、一歩たりとも譲らない。不肖(ふしょう)わたくしめ、感服いたしました!」 「なっ、なんだこの野郎いきなり」  思わぬ反応に運転手の方が面食らってしまっていた。 「それにその、彫りの深いお顔立ち! さぞかし修羅場をくぐっているものとお見受けします!」 「まあ、それほどでもねえけど……」 「では急ぎますので、これにて」 「おいおいおい待てよ。考えたら俺も悪かったよ。あんた、ひょっとして駅の方向かってる? あんたさえ良ければ、おわびに近くまで乗せて行ってやるけど」  そういって運転手は、えらく使い込まれた雰囲気の自らのトラックを指し示した。どうやら褒められるのにめっぽう弱い性質らしい。  見知らぬ男の誘いに乗ったものか若干ためらいはあったものの、サイトウはすぐ「見た目に違わず漢気あふれる御仁だ!」などと言って、結局はトラックの助手席へと同乗することにした。 「しっかり掴まってろよぉ」  爆発的な急加速と共にトラックが発進すると、猛烈なGでサイトウの体は座席にぎゅうと押し付けられた。  思わず潰れたような悲鳴を漏らしながらスピードメーターに目を向けると、既に高速道路並みの速度が出ているではないか。法定速度を軽く二〇キロ以上はオーバーしている。 「いやぁ、途轍(とてつ)もないですねぇ!」  サイトウは負けじと声を張り上げて言った。 「思い切りが大変よろしい、なんという勇猛果敢さ!」 「なぁに、この程度ならまだまだよォ」  運転手は気を良くしたのか、法定速度オーバーのまま涼しい顔で民家の立ち並ぶ只中の一般道をびゅんびゅん飛ばし始めた。路上に『ツウガクロ ソクドオトセ!』の文字が一瞬見えたが、それも即座に彼方へと消え去っていった。  そうこうするうちに次の信号が見えてきた。表示は黄色から赤に変わりかけていたが、運転手はあろうことか更にアクセルを踏み込んで加速し、幼稚園児でも分かる停止指示をたちまちのうちにぶっちぎった。  刹那、横断歩道前に立っていたおばあちゃんがギャッと悲鳴を上げてのけ反るのが見えたが、間一髪ぶつかった訳ではないようだった。 「勝負勘が冴えてらっしゃいますねぇ!」  サイトウは正直肝の冷える思いだったが、尚もめげようとせず言った。 「ひょっとすると博打(ばくち)の才能がおありのようだ!」 「こう見えて切った張ったは負けなしよォ」  エンジン音にも負けない大声で運転手はガハハと笑ってみせる。そんなこんなでようやく目的地の駅舎が見えてきたその時、バスンと嫌な音がして車体全体が一瞬浮き上がったかと思うと、次の瞬間には右斜め前方に大きく傾いだ。車の外を覗き込んだ運転手の顔色がサッと青ざめる。 「しまったパンクしやがった! ブレーキが効かねえ」 「このトラックは見上げた根性の持ち主なんですな!」  サイトウはもう半分やけくそだった。 「限界ギリギリまで働き抜いたんでしょうな、いやあ立派! 実に立派!」 「そんなこと言ってる場合じゃねえだろ、どわあああ!」  運転手は今更になって速度を落とそうとしたが、もう後の祭り。軽トラは進路上にあった段差に引っかかってたちまち横転すると、サイトウたちの悲鳴を乗せたまま駅前の広場を滑っていって何かの建物に思い切り激突、やっとのことで大暴走に終止符を打ったのだった。  ぼやける視界の中、サイトウは衝撃で開いたダッシュボードから色とりどりに輝く大粒小粒の何かが、バラバラとこぼれ落ちてきたことに気付いた。  そのひとつを手に取ってみて、サイトウは大分遅れて驚きの声を上げた。 「宝石じゃあないですか。ルビーにサファイア、エメラルドまである。漢気だけでなく、審美眼までおありだったとは!」 「寄こせ、触んな、俺のだっ!」  横転した車体の中で、運転手は打って変わって半狂乱になりサイトウの手から次々と宝石をひったくっていった。  どうなさったんですかと訊くより先に、頭上で割れたサイドガラスの向こう側から「大丈夫ですか!」と警官らしき制服姿の男が覗き込んできた。サイトウがその手を借りてなんとか車体を抜け出してみると驚くなかれ、横転トラックが突っ込んだのはよりによって交番だった。  まるで昭和の過激派テロみたいな時代錯誤の光景に、駅前広場は野次馬で騒然となっていた。  そのうち他所から応援の警官も続々と集まってきて、ようやく運転手の男も助け出されたのだが、その顔を見た警官が唐突に「あれっ?」と素っ頓狂な声を発した。 「お前マルカワタケシじゃないのか? 宝石強盗で手配になってるマルカワだろ、間違いない。手配書の顔と同じだよ」 「こんなところで一体何やってるんだ?」  大勢の警官に取り囲まれた運転手は、逃げ場がないと悟ったのが意外なぐらいにあっさり「はい」と頷き、抵抗の様子も殆んど見せなかった。  さしものサイトウもぶったまげてしまった。この運転手の男、なんと一か月前から宝石強盗の容疑で警察が探し回っていた人物で、乗っていた軽トラはナンバープレートを付け替えただけの盗難車であった。  元ヤクザで、半年前に出所したが食うあてを見つけられず、結局また強盗に走ったのだそうだ。露骨におだてに乗りやすい性格が、自他ともに認める弱点だったということらしい。 「アンタねぇ、事情は判ったけどそう何でもかんでも褒めたらいいってモンじゃないよ。限度を知りなさい、限度を!」  その後連れていかれた最寄りの警察署の取調室で、サイトウは警官からこっぴどく叱られる羽目になった。彼を車内から助け出し、ついでに運転手が手配犯のマルカワタケシだと気付いた、その張本人である。たまたま交番を訪れていて事故に遭遇したが、本来の仕事場はこっちの警察署らしい。 「まったく無事だから良かったようなものの」 「彼の怪我の具合は如何だったんです?」 「軽い打撲程度で済んでる。しぶとい奴だよ」 「それは良かった。手配中にも拘わらず私を駅まで送ってくれた、親切な御仁ですので」 「だからさあ、アンタねぇ!」 「それにあなたも」  と、サイトウは警官が再び苦言を呈そうとするより早く、その警官自身に向かってこう告げた。 「実際、優秀な刑事さんですよ。盗まれた車と宝石、探していた犯人、更にはもっと別のものまで見つけられた。これで市民も安心して眠れるというもの!」 「別のもの……? いやいや知らないよ、そんなの」 「いえいえ、確かに先ほど見つけて下さいましたよ」  サイトウは大真面目な顔で言った。 「それは、私の欠点です」 (おわり)
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