月夜の出会い

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月夜の出会い

 空を見上げると、満天の星空に赤い月が妖しく輝いていた。  田舎町の坂道を歩きながら、私は珍しい光景に、酔った体でふわりと回る。  今日は新入社員の歓迎会だった。私も今年から新社会人として働き始める。上司も、先輩も、同僚もいい人ばかりで当たりだったかもしれない。ちゃんとこうして終電前に帰してくれるし、ホワイトと言っていいだろう。  都会への憧れはあったけれど、まずは地元で経験を積んで、お金を貯め上京するつもりだ。実家もいずれ出て、自立したいと思っている。  これからの生活に期待を抱きながら、歩を進める。私の家はこの道の少し先だ。勾配の緩やかな坂道の頂上まで来ると、電灯の下に人影が見えた。  私は珍しいなと視線を惹き寄せられる。  この辺りに人家は無い。  ガードレールの向こうは崖。背後も空き地だ。実家の周りも田んぼばかりなのに。  そして何より、その容姿が目を惹いた。  薄いブルーの髪に、赤い瞳。背が高く、彫りの深い整った顔の男性だ。シンプルなシャツとスラックスが、均整の取れた体型にとても似合っている。  それは電灯に照らされ、まだ離れた位置からも確認できた。  でも、今どきそんな人は五万といる。ヘアカラーは多彩だし、カラコンだって豊富だ。  それでも珍しいと思ったのは、その人が年上だったから。見た感じ、三十前半と言ったところだろうか。それにこんな田舎町で、これほど派手な出で立ちはそう見ない。  私は気になりつつも、知らぬ素振りで通り過ぎようとした。  その時。 「こんばんは。いい月夜ですね」  不意にかけられた、テノールの声。  私はつい、勢いよく振り向いてしまった。  そこには私を見つめながら微笑む男性。  しばし見蕩れると、ハッとして言葉を返す。 「あ、はい。こんばんは。珍しい月ですよね」  私は月に視線を移し、大きく息を吸う。  春先の夜の空気は少し冷たく、酔った体に心地いい。  男性も月を見ながら、微笑んだ。 「ええ、こんな月が見れるなんて、ここに来て良かった」  少し含みのある言葉に、私は問いかけた。 「もしかして、最近引っ越されて来たんですか?」  ここは田舎町でも、更に端の方だ。ご近所さんは大体顔見知り。こんな人が越して来たという話は聞かないけれど。  私の質問に、男性は苦笑しながら答える。 「まぁ、そんなものです。大学から地質調査に来たんですよ。この辺りは地層が観察しやすいんです。ご存知でしたか?」  返ってきた問に、私は首を振る。 「いえ、知りませんでした。大学から来られるって事は、教授でいらっしゃるんですか?」  年の感じからしてそうなのかと聞いてみると、男性は首肯した。 「はい。大学で地球の地質学を研究しています。面白いですよ。地層は四十五億年の記憶を教えてくれます」  地球。  私はその言葉に引っ掛かりを覚えた。  何故、わざわざ地球って言うの? 「地球……ですか。まるで異星人みたいな言い方ですね」  思わず言ってしまって、慌てて口を閉じる。  でも、男性は面白そうに笑った。 「ほう……異星人ですか。貴女も中々面白い事を仰る。宇宙人とは言わないんですね」  怒っていない口振りに、私はほっと胸を撫で下ろし、持論を述べる。 「だって、地球人も宇宙人でしょう? ︎︎日本に住んでるから日本人。地球に住んでるから地球人。なら、宇宙に住んでる私達は宇宙人です」  それを聞いて、男性は声を上げて笑った。 「なるほど。言い得て妙ですね。では異星人は存在すると思っておいでで?」  興味津々といった様子で更に問いを重ねる男性。それでも私はするりと答えた。 「はい。地球人という宇宙人がいる以上、逆に異星人がいないって言うのは不自然です。宇宙には数億、数兆の星があるんですよ? ︎︎なのに地球が特別なんて、そんなのナンセンスですよ」  むふーと鼻息も荒く高説を垂れる。  これは以前、友人にも言った事があるけれど、バカにされて終わった。宇宙人なんて非科学的だと言って。  そっちの方が非科学的だと思うんだけどな。  でも、男性は違った。  面白そうに目を細め、私を見つめる。 「確かに、この星だけが特別なんて、そんなのは傲慢な選民思想です。知らないものは存在しないと考える者は少なくありません。科学はそれを可視化するひとつの手段です。地質学もそう。誰も知らない太古の世界を見せてくれます」  月を見上げる男性の横顔は、好奇心に満ちていた。私も並んで月を見上げる。  なんだか不思議な感覚。  見慣れた夜空が、より一層輝いて見えた。 「……名残惜しいですが、そろそろお別れの時間ですね。もう日付が変わってしまいました。貴女と話せて良かった。今日の日を忘れる事は無いでしょう」  言われて、腕時計を見ると、もう一時近い。  あ、と口が開き私は慌てて(きびす)を返した。 「すみません。私、明日も仕事で。お話できて楽しかったです。またお会いできますか?」  できればまた会いたい。  そう思いを込めて言ってみたけれど、ゆっくりと首は横に振られた。 「いえ……もう、帰らなければならないんです。次に来るのはいつか分かりません。その時、また会えたら、とても嬉しいです」  そう言って、右手を差し出す。  残念だけど、私達はたまたま出会っただけの他人。引き止める権利も無い。  私は差し出された手を握り、笑う。 「その時はお茶でもしましょう。貴方とは気が合いそう」  男性も、私の手を握り返し、頷く。  私は思いを振り切るように手を離し、一歩を踏み出した。  でも、その歩みはすぐに止まり、振り返る。  そこには、ただ電灯の明かりだけが夜道を照らしていた。
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