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第1話 ただ不自由していた
昨日、十一個目のピアス穴を開けたのを忘れていて、僕は名前も知らない男のワイシャツに少しの血と浸出液の染みを付けてしまった。男は僕であれこれ愉しんだ後、わざわざワイシャツを羽織ってから自分の腕枕で僕に寝るよう命令した。忘れていた僕も僕だけど、それが血じゃなくて整髪料だったとしても殴られたのだろうか。
でも料金先払いだとこういう時に助かる。
クラスの女子のあけすけな自慢話。武勇伝の如く語っては笑い合う彼女たちのお喋りは読書に没頭しているふりをしている僕の社会勉強。
勿論、僕がクラスの女子の真似をし始めたのは金銭的に困窮していたのが一番の理由だけど、僕の母親はあり余るほど僕にカネを与えていると思い込んでいるし、そのカネを母親の彼氏にしては随分と若いあいつが全部パチンコだの競馬だの賭け麻雀だのにつぎ込んでいるのは当然ながら知らないことになっている。
話す機会すら見つけるのが困難な母親とは生活サイクルがまるで違っているので仕方ない。確かに僕を生んだのはこの母親だという話だけど、隣のクラスの副担任よりも他人っぽく感じているのはお互い様だろう。
それでも母親は僕にも彼氏にもカネを渡そうと結構な努力をしているのを僕は知っているし、自分の愉しみのために家を空けっ放しにしているのではないのも分かっている。一見、高校生の息子がいる歳には思えないくらい『自分磨き』とやらの成果は現れていて、お蔭で夜の商売でも売り上げがいいらしい。
こんな話、母親だろうがクラスの援交女子だろうが変わらなくて笑える。
とにかく僕は母親の彼氏に殴られ蹴られた挙げ句に母親が置いて行ったカネまで取り上げられて、何処かで代わりのカネを調達しなければならなかったのだ。
盗むよりリスクが少ない方を選んだ。自分が持っているモノとの交換である。
ピアス穴は昨日の昼まで両耳合わせて十個開いていた。その十というキリのいい数字が何となく気持ち悪くなってウチに帰るなりピアッサーを探した。一瞬でバチンとピアス穴を開けると同時に24金メッキのピアスもセットされ、後は消毒するだけという手軽なシロモノだ。
だけど見つかったのは24金メッキのピアスだけだった。
仕方なくその、先が針状になったピアスで右耳の上の方をつついていたが、マンションの玄関の方から母親の彼氏が帰ってくる音がしたものだから慌ててブチッと貫通させてしまった。却って思い切り良く軟骨にピアス穴が開いた訳だ。普通はファーストピアスにするそれを抜いて強引に手持ちの16ゲージのチタンピアスを捩じ込んだ僕は、財布と鍵と携帯その他を入れたショルダーバッグを担いだ。
母親の彼氏のストレス解消に付き合わされるのは勘弁で、キッチンに人の気配がなくなった隙を見計らい、素早く自室から出て足音を殺し廊下を辿ると玄関から脱出に成功した。これで僕は今晩も入校さえしていない塾に通っていることになった。
駅まで歩き電車で三駅の繁華街に僕は放たれて泳いだのち、表通りに面しながらも細い路地への入り口で店舗の影になった場所にしゃがみ込んだ。少し俯いて、でも前髪はかき上げて顔がぼんやりとでも見えるように。
目前の歩道を行き交う足取りで、僕と絶対に関わりたくない人間、多少の興味はあるけれど喋ったりするのはご免だという人間、声を掛けたいけれど勇気が出ない割とお人好しっぽい人間など、既に僕は違いが分かるようになっていた。
僕と直接的に何かしたい人間は単純明快に声を掛けてくる。
「カネ欲しいの?」
「幾らならいい?」
「二万で何処まで?」
なるべく僕は即答しない。あからさまにギラギラした目の奴が相手だと酷く疲れるか、それこそ追加でストレス解消に八つ当たり的な因縁を付けられ殴られたりする。
あと『援助』を前面に押し出すような優しい人間ぶっている奴も危険信号。こういうタイプはこっちが下手に出た途端に豹変することが多い。説教も要らないけれどそれ以上に、いわゆるDVを『しつけ』と勘違いしている奴だ。
それに明らかに不潔なのは嫌だし、病気を貰うのは勘弁だからキチンと踏むべき手順を踏んでくれそうな、本当に同性にしか欲情できない人間がいいのだけれど、そうそう上手くアタリを引けることは少ない。
そりゃあ仕方ない、社会的には悪だとされている行動を僕は取っているのだから、喩えハズレを引いても文句を言いに行けるようなシステムも構築されていない。
けれど僕は自分の持つ、自分のものと唯一云えるモノを金銭と交換してるだけ。それは必要なことだし、悪いと認識しているし、上手く立ち回っていれば誰にも迷惑かけない。
もっと上手く立ち回れたらいいのだけど、毎回ラッキィに恵まれやしないのも、いい加減に覚えさせられていた。つまりは僕の『人を見る目』がクラスの女子ほど長けていないのが現実だと認めざるを得ないだろう。
いや、それとも『殴ったら壊れそうな女の子』というのがキモなのか。
分からないけれど、どうでもいい。ううん、どうでも良くはない。痛いものは痛いのだ。僕はそう体格に恵まれている方ではなく標準的で武道やスポーツも苦手だから、殴られて殴り返すどころか避けるのに成功したこともない。
だからって情けないとも思わない。これが僕なのだ。そして僕を包括するシステムから僕は少しはみ出したのだから、仕方ないのだ。
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