Christmas・eve

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── 1 ── 10年前の冬、駆け足で学校から帰った俺は、荷物を片付けるのもそこそこにご機嫌なまま庭へ躍り出た。 この国で『グレイファミリー』といえばそれなりに名の通った歴史あるマフィアで、家族で住んでいる家も数名の手伝いを置けるぐらいには裕福だった。大きな家屋は勿論、重厚な門扉から続く広大な庭には母の好きな草木が植えられ、特にこのシーズンが近付くと色とりどりの電灯で飾られた楠が揺れる。 今日はクリスマス・イブ。 そして、可愛い弟が9回目の誕生日を迎える前日。 「あれ、アリーシャは?」 日もだいぶ傾いてきた頃、見事に飾り付けられた楠に登った俺が仕上げに大きな靴下を掛け終える。 本当は毎年子供だけでこの飾り付けを楽しむのだが、今日は年上の幼友達が風邪を引いたお陰で駆り出された情報屋、ジャック・ポットに振り返る。彼と父がいつからの付き合いかなんていうのは知らないが、父の英雄譚に必ずと言っていいほど登場する公私ともに懇意のこの男は、「さぁ」とキザに掛けた白い眼鏡を外す。 ヒョロリとした体型に少し柄の悪い眼鏡、ありきたりなブラウンの髪を短く切り揃えた彼を形容できる特徴はきっとそれぐらいだ。そうやって「なんの変哲もない誰か」に化けるのが上手い彼は、外した眼鏡を徐に口元まで持ってゆくと、寒さで白くなった息を吹いてハンカチで擦ってみせる。 「誕生日を前に、何が買いに行ったんじゃないのかい?」 光に透かしてレンズの調子を確認したジャックが柔和な表情で俺を見つめて微笑むも、細めた瞼の奥は残念ながら笑っていなかった。 「嘘はよしてくれ……アリーシャはどこに行った?」 嫌な予感ほどよく当たる。先程までの笑顔を崩した彼はやれやれ……といった様子で首を振ると、「これだから聡い子は嫌なんだ」と呟いて俺の前に膝を折った。 「これは君のパパから箝口令が敷かれている情報でね……本来、アランに言ってしまったら僕の立場が悪くなる」 「……何が言いたい?」 「そんな怖い顔をするなよ。なぁーに、『教えない』とは言ってない。ただ……」 「ただ……?」 光の消えた瞳のジャックは両腕を俺に突き出しながら眉間に皺を寄せ、「これは契約だ」と苦々しく言葉を吐きながら笑ってみせる。 「君が約束を守れるなら、僕は一生君の味方になろう」 「約束……内容は?」 「『どんな時でも僕を信じてくれる』って、約束」 冗談ぽく、それ以上に切実な彼の声に押された俺は「そんなこと……」と言葉の続きに喉を鳴らしてジャックに思い切り抱き付く。 「当たり前だろ!」 貼り付いて離れない俺の背中に手を回した彼は「ありがとう」と囁くように声を潜めると、静かに俺の肩に手を置いて引き離す。 「実はね……」 俺の耳元に口を寄せたジャックの声は、聖夜を前にした街中の喧騒に比べるのも馬鹿らしいぐらい小さい。それでも俺の脳裏に焼き付いて、耳の奥にこびりつくには充分過ぎる程の破壊力があった。 「今朝、アリーシャは学校に出掛けてから帰ってきていないんだ」 ジャックから告げられたその言葉は、エイプリルフールにはまだ随分とある吉日に酷いジョークだった。そんな唐突な言葉を信じられる筈もない俺は膝が震えるのを支えながら「嘘だ!」と彼に罵声を浴びせる。 「あぁ、僕も嘘だと言ってやりたいさ……でも、これは本当のことだ。多分パパの事だから、きっとアリーシャを見つけ出してくれる。アラン、お前もそう思うよな?」 我儘に地団駄を踏んだ俺をあやそうとお得意の口八丁で問いかけるジャックは、わしゃわしゃと俺の頭を撫でて作り笑いを決め込む。 「さ、明日はアリーシャの誕生日で、大事なクリスマス!……きっとイエス様も守護して下さるよ」 願いにもよく似た彼の言葉に納得がいかないまま踵を返した俺は、ジャックの声を背に受けながら一目散に屋敷へと向かった。
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