マーク・オースティン

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俺の言葉を最後に、豪華な室内は静謐に支配される。誰かが声を上げれば途端に潰されてしまいそうなほど言い知れぬ圧を帯びたソレは、精査しなければいけない情報で溢れた頭を霞ませた。 「お兄さん、まだ話は終わらないの?」 呑気な声と共にガチャリ……ッと勢いよく扉が開き、空調によって保たれた室内の温度が一変する。話のせいで冷え込んだような顔をする室温は外気が(もたら)した熱気と綯い交ぜになって姿を隠すと、案内役を務めた子供がズカズカと楊に歩み寄った。 「おっと、待たせてしまってすまないね……今日もお使いご苦労様。はい、お駄賃だよ」 さっきまでの話がなかったかのように微笑んだ糸目は、黒猫に語りかけていた時と同じ柔らかな声でソファの端に置かれた巾着を手渡す。 「まいどあり!また何かあったらいつでも呼んでね」 「あぁ、ありがとう」 包みを受け取って小さく手を振る子供は現金な笑顔を浮かべて扉の奥へ消えると、一瞬の出来事に驚いた俺はひたすら子供が去って行った扉を眺める。 「……アレも奴隷(商品)か?」 唐突に浮かんだ疑問がそのまま俺の口から滑り出ると、ふふ……っと鼻で笑った楊は「違うよ」と言葉を続けた。 「彼はスラムで生まれ育った浮浪児だ。こっちの国に来て商談をする時は、必ず無法地帯に近い此処を使うから、毎度彼に案内を頼んでいるのさ」 「へぇ……だから暗号なんてキザな芸が仕込まれていたのか」 「彼は狡猾だからね。それに、一度頼んだことはちゃんとこなしてくるから、私としても重宝しているよ」 言葉とは対照的に口元を歪めた彼は、まるで芸達者な子猿を見るような嘲笑を浮かべる。きっと楊にとって『人間』など、家畜やペットと同等の価値しかもたないのであろう──隣で優雅に寛ぐ毛毛を見据えた俺は、ボンヤリとそんな事を考えていた。 「そうそう、子供といえば……君は弟クンの影武者(ダミー)江華貿易商(我が社)で買われた、と言っていたね」 「あぁ」 「その情報は何処から得たんだい?」 組んだ足を解いて前に乗り出した糸目の声が響く。彼の意図が分からないまま横に座るマークに視線を移すと、ポケットから取り出した手帳をパラパラと捲る金髪は「僕だよ」と該当するページを差し出す。 「とても几帳面な字……羨ましい限りだ」 受け取った手帳の端から端まで舐め回すように見つめる楊は、うんうんと悩むように小さく唸る。 「この調査は君の独断かな?」 「はい……アリーシャや影武者(ダミー)の事について知る者は少なく、その誰もが口を閉ざして教えてくれませんでした。なので、父が付けていた日記を整理して、僕なりに情報をまとめてみました」 「そう……か……」 険しい表情の糸目は徐にカチリ……ッと爪を噛んで眉間に皺を寄せて「無いんだよ」と小さく呟く。 「無い?何が……でしょう?」 「江華貿易商(我が社)とグレイファミリーに子供の取引なんて、何処にも記述が無いんだ」 「嘘……だ、だって、父は毎日欠かさず日記を書いていたし、アリーシャの証言からも影武者(ダミー)が居たことは明白、時期だって符合している。それに、わざわざ父が私的な日記に嘘を書くなんて……」 焦った様子のマークは早口でまくし立てるように言葉を並べるも、自らの推測を崩された事がよほど悔しかった様子で言葉を段々に弱めてゆく。 「別に君を『嘘吐き』呼ばわりしたい訳じゃ無いのさ。ただ、『取引書のどれを見てもそれらしいものが無い』という事実を述べたまで……悪く思わないでくれ」 肩を竦めて瞼の奥の赤い瞳をマークから俺に移した楊は、大きな溜息を吐きながら意味深な表情を浮かべる。 「アラン君……ここまで話をしている中で、私は君の素晴らしいところを沢山見つける事ができた。野生的に優れた直感と突発的な物事に対する適応力、少しの事では動じない精神力と器の大きさ……その全てを持ち合わせる君は、人の上に立てる一握りの人材だ。だが、君は優しすぎる」 「は……ッ!この俺が?『優しい』だと?」 「あぁ、そうさ。その証拠に……君は私と対面した時だって言葉にはしなかったものの、まず1番に腕の傷を心配した。例え約束を交わしたとは言え、こんな胡散臭い呼び出しを食らったのなら、普通は隣に座る彼のように警戒のひとつやふたつはすべきだろう」 まるで子供を諭すような口調の糸目はスラスラと理屈を捏ね回したような持論を広げると、指先を俺に伸ばして「これは私からの忠告だ」と宣ってジェスチャーで側に呼ぶ。 「おいおい、主人を指だけで呼ぶ奴隷がいるとはな」 楊の偉そうな態度が腑に落ちない俺が嫌味のひとつを吐いて腰を上げると、満足そうに微笑んだ彼は「お生憎様、毛毛が隣で眠っているからね」なんて軽口を叩く。 「君は君自身が思っている以上に純粋で優しい。だからこそ、一度懐に入れた人間に対してはこうやって判断が鈍りやすいんだ」 ほら、と言わんばかりにマークの手帳を揺らす糸目は、俺の耳に手を伸ばしてそっと囁く。 「……弟クンの死など、他人の私が知る訳もないが──私は、その件に関して『知らない』という事だけ知っている。考えてもみろ、人を動かすのが私の生業なら、自然とそれに付随する『情報』というものは、望まずとも転がり込んでくる……その私が、グレイ家の一大事を『知らない』なんて、なんだかおかしいと思わないか?」 「……何が言いたい?」 「君の懐には裏切り者(ネズミ)が居る──よくよく気を付けないと、いつか足元を掬われるだろう」
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