マーク・オースティン

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楊の隠れ家を出ると、すっかり冷え込んだ体を包み込むような気怠い暑さが蘇る。いつにも増して無言になった俺らが来た道を戻る中、マークは沈黙に耐えかねたように「軽率だった」と言葉を切り出す。 「僕は父の事を過信し過ぎていたのかもしれない……いや、違う。自分の立てたに酔っていたんだ……誤った情報を確証もないままアランに言うべきじゃなかった……本当にごめん」 「別にマークが謝る話じゃない。現にマークからの情報がなかったとしても江華貿易商に繋がっていた訳で……」 落ち込む彼を励まそうと脳味噌を穿り返して探すたび、的とも味方とも曖昧な中国人(チャイニーズ)の言葉が頭を掠める。 ──もしもマークが裏切り者(ネズミ)だったら? そんな恐ろしい考えから逃げるように顔を空へ向けた俺は、容赦なく照り付ける陽光に目を細めた。祖父が作り上げた輝かしい過去の裏に堕ちた、深く悲惨な闇。そこから這い出た恨みの代償は、なんの罪もない孫のアリーシャに降り注いでしまったというのか。 「おや、こんなところで珍しい……あんちゃん、奇遇だねぇ」 聞き覚えのある嗄れ声に振り返ると、風貌からしてこのスラム街がお似合いの老人が笑っている。海藻を乗っけたようなギトついた髪、黄色く濁ったグリグリの瞳、溶けて不規則になった歯並び──。 「おや……ミスター・ペネロペ!先日はお取引頂き、ありがとう御座いました」 ある意味命の恩人とも言える麻薬(ジャンク)の密売人へ敬意を払って会釈した俺は、仕事用の言葉遣いでペネロペに向き直った。 「ふぉっふぉっふぉっ……礼には及ばん。こっちこそ、たらふく美味い酒にありつけたんだ……これからも宜しく頼むよ」 「えぇ勿論です」 上部では感じのいい笑顔を取り繕うも、俺の心内は彼の言葉に対する小さな疑問が湧く。彼には我々(コーザノストラ)が卸している麻薬(ジャンク)の中でもそれなりの量を渡している。1グラム単位でそれなりの金額になる筈のソレを売り捌くペネロペが、何故『』しか美味い酒をたらふく飲めないのだろう。 「そうそう……実はこの度、先代のヘンリーが急病で倒れまして、後任として自分がグレイファミリーのボスに就かせて頂きました。先代の時はミスター・ペネロペにもそれなりに儲けが出ていたように思いますが、売り上げ等で不都合な点でも御座いましたか?」 近況報告も兼ねて老人へとにじり寄った俺は、畳み掛けるように言葉を重ねる。父の引退に目を丸くしたペネロペは「ほう」と脂ぎった頭を掻くと、「いや、不都合というか……ねぇ」と溜息を吐いた。 「ここ数年前から兆しはあったんじゃが、最近の若人に生粋の麻薬(ジャンク)は相手にされんようでな……なんでも、『合成麻薬』というものが安価に出回っておる」 「合成麻薬……」 ──『購入先はとある製薬会社で、表向きは新薬の開発を挙げているものの、裏では合成麻薬を主流に取り扱うマフィア──そう、『スリザード』さ』 彼の言葉を繰り返した俺の頭に浮かぶのは、糸目から聞かされた『琳 榮榮』の飼い主、そしてグレイ家とも縁の深い鬼畜野郎……レオ・アルジャーノ。 「そう……でしたか。それではこちらも、その合成麻薬とやらに負けないようにしなくては。貴重なご意見、ありがとう御座います」 鏡はおろか、窓硝子の存在すら危ういこの場所で、今の自分がどんな顔をしているかを知るのはほぼ不可能だ。それでも色々な感情を吸い上げて歪に曲がった俺の口元は、手段を選ばない一石二鳥のを想像して、さも楽しそうに吊り上がった。
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