21人が本棚に入れています
本棚に追加
ジーニトラの覚醒
退院した日の夕飯は、僕の好きなハンバーグだった。ご飯の後にはケーキも食べた。明日、翔太くんに「ごめんなさい」を言うって約束をしたら、ママは笑顔になって、イチゴショートケーキを買ってくれたんだ。
仕事から帰ってきたパパとお風呂に入って、ベッドに潜り込んだ。今頃になって、背中が少し痛くなったけど、とっても眠くて、すぐに僕は――。
「偉大なる魔王ジーニトラ様ともあろうものが……まさか、こんな子どもになってしまうとはな」
目が覚めて、ベッドの上に起き上がる。子ども部屋の中は、まだ暗い。後頭部に微かな違和感が残るが、朝には消えてなくなるだろう。むしろ、頭はすっきりしているくらいだ。ようやく俺の記憶を取り戻したようだ。
「フム」
パチンと右手の指を鳴らして、掌を上に向けて開く。小気味よい音がしたものの、なにも起こらない。下っ端でも使える、極々初級の炎生成魔法なのに。
「ダメか」
なんてことだ。新たな世界で再び我が暗黒の王国を築かんがため、持てる魔力の全てを注いで転生術に踏み切ったのだ。なのに……この世界では魔法が使えないとは。
「待てよ、あのとき……」
右目の奥に残影が浮かぶ。転生術の最中、確かに邪魔が入った。そうだ、あの光。忌々しいエメラルドの輝きは、間違いない。
「聖女アイリーン=ルバティーめ」
紫炎に割り込んだ新緑色の光――あれは自らの生命と引き換えに、俺の術に干渉した証だ。恐らく聖女は、転生後の世界で魔力を使えないよう、この俺に封印を施したのだ。
「クソ、仕方ない。しばらく様子を見るか……」
諦めて、ベッドにポスンと倒れる。
魔王としての記憶だけが蘇ったところで、魔力が使えなければ、どうすることも出来ない。今回、偶然にも頭を打ったお蔭で記憶を取り戻したが、完璧な転生術ならば、この世界に生まれ落ちてすぐに覚醒したはずだ。そのことを考えても、聖女の封印は、予想の遥か上をいく強力なものだったのだろう。
「……舐めていたな」
最終戦争で勇者の一行が魔王の居城の深部まで攻め込んできたとき、警戒すべきは勇者と腹心の竜騎士の2人だった。“白百合の聖女”は、回復系魔道士のローブの陰で小さくなって震えていたのに。
一進一退、拮抗する戦いの中、俺の軍勢は決して優勢ではなかった。臣下の魔将軍たちは、個々の魔力こそ秀でていたが、忠誠心なぞ微塵もなかった。魔族の性質といえばそれまでだが、いつでも俺の寝首をかこうという輩ばかりだった。だから、戦況が不利に傾いたとみると、俺はあの世界を見捨てようと決めたのだ。なに、王国なんて何度でも造り直せる。従う魔物たちとて、俺の強力な魔力に惹きつけられて、放っておいても自然と集まってくるのだ。あの世界にも臣下にも、これといって特別な愛着などなかった。そして、この先造り出す新たな王国にも、きっと特別な価値など持たないだろう。
最初のコメントを投稿しよう!