よーい、ドンッ

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よーい、ドンッ

 遠慮がちにそう言ったのは、黙って会話を聞いていたこずえだ。 「それ、いいね!」 梨乃は手を打った。早奈美は不思議そうな顔をしている。 「こずえは、陸上大会の100m走入賞したんだっけ?」 「うん、2位だけどね。」 控えめな笑顔を健に向けるこずえ。早奈美は顔を輝かせた。2位だって十分すごいと梨乃は思った。陸上大会は市が主催している。学校内でリレーの選手になっただとか、運動会の徒競走で2位だったとかとはレベルが違う。市内の小学生で2番目に速いのだ。 早速校庭へ一行は移動した。校舎からは遠いジャングルジムの方へてくてくと歩いていった。 「スタートはここら辺か?」 先月行われた運動会では、怜央が足で指し示す辺りが、確かにスタートラインだった。ここからカーブを2つ曲がり、大きな木の辺りがゴールだったと梨乃は目でコースを追った。 カーブがあるので、少しずれてこずえと早奈美が並んだ。インコースがこずえ、アウトコースが早奈美だ。ただ、スタートしてしまえばオープンコースのレースなので、スタート位置だけのポジションだ。校庭のコースロープは途中で切れていたり砂で隠れたりしてしまっているので、セパレートでずっと走るのは難しい。それに正確な距離を測っていないので、セパレートの場合のスタート位置もよくわからないのだ。 ピストルはないが、電子笛が職員室にあったので怜央がそれを右手に握っている。特に必要ではないが雰囲気が出るからと、大地は体育倉庫から赤い旗を持ち出しスタート位置で構えた。梨乃と健はこれまた体育倉庫にあったゴールテープを持って、ゴール位置に立った。 梨乃と健は準備ができた合図に、大きく手を振った。怜央が小さく頷くのがかろうじて見えた。大地は大きく旗を振った。 自分が走るわけではないのに、梨乃はやたらと緊張した。このレースはどのような結末なら、早奈美の思いを浄化したことになるのだろうか。早奈美が勝てば?それとも、負ければ?向かいに立つ健のゴールテープを握る拳の関節が白くなっているのを見て、緊張しているのは自分だけではなさそうだと梨乃は思った。 ビーッ!!と鋭く鼓膜に刺さるような電子笛の音が響いた。 力強く地面を蹴って駆け出すこずえと早奈美。第1コーナーに差し掛かる。ほぼ互角だが、スタート後こずえを抜かせず外側を走ることになってしまった早奈美がやや不利か。 次のコーナーも、こずえが少し前に出ていた。 最後の直線。横並びになる2人。スタート位置の怜央と大地がフィールドを突っ切って、ゴールテープを持つ梨乃の隣に立った。 息をするのも忘れて、梨乃は全速力の二人を見つめた。健も怜央も大地も、何も言わない。 もうあと、20m… 10m… 「ゴール!!」 パッとゴールテープを離して梨乃は叫んだ。ゴール地点から数10m離れた校庭の端のフェンス付近で、ランナー二人は止まった。大きく肩で息をしている。ゆっくりと、梨乃達の方へ歩いて戻ってくる。 ほんの少しの差ではあったが、梨乃たちは見ていた。 「勝者…早奈美!!」 健が大きな声で宣言した。 「やったっ!!」 喜ぶ早奈美。梨乃達は拍手で称えた。 「格好良かったよ。」 梨乃は心から思ったことを言った。フォームが綺麗だったとか速くてすごいだとかいうのはもちろんだが、それより何より2人の本気のぶつかり合いが心に響いた。 「こずえ、本気で走ったんだよな?」 怜央は野暮なことを聞くな、と梨乃は少しムッとした。 「なんだよ。大事なことだろ?」 怜央は梨乃の気持ちを感じ取ったのか、トゲトゲと言い返してきた。 「もちろんだよ。私は本気で勝負しなきゃ意味がないってわかってるし、やるからには勝ちたいと思ってた。信じてくれる?」 まだ少し息の上がっているこずえは、早奈美へと顔を向けた。梨乃の見間違いでなければ、こずえの瞳は少し潤んでいるようだった。 「こずえの様子、見てたらわかるよ。私と勝負してくれてありがとう!」 早奈美は笑顔を浮かべ、こずえへ手を差し伸べた。こずえはしっかりと、早奈美の手を握った。 「もしまた勝負することがあったら…私が勝つね。」 こずえの言葉に大きく頷いた早奈美は、パッと直視できない程の光を放ち、そして、消えてしまった。 「悔しいなぁ…。」 そう呟くこずえの顔が切なくて美しくて、梨乃の目に焼き付いた。 「自分のやりたいことに本気…ね…。」 ポツリと呟く怜央の声も、梨乃にはとても印象深く響いた。
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