さよならの教室

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 恋愛って、依存症みたいなもんだと思う。  一度好きって自覚してしまったら、どう頑張っても止められない。何か明確な証拠があるわけじゃなくて、ただ感覚、気持ちだけの問題。なのにどうしてもそこから離れられない。  俺にとって悠斗(ゆうと)は、ゆるやかに効いていく、軽い気持ちではじめたのに止められなくなっている、麻薬というよりは煙草みたいな、そんな存在だった。  ゆるやかな、悠斗への恋愛依存症。  悠斗は自然な明るい色の髪、にこやかな笑顔、そこそこ背が高くて、そこそこ運動もできて、そこそこ勉強もできる。なんだそれって思うような少女漫画キャラで、けれどどれか突出することがないから、いまいちちょっと普通みたいな同級生だ。  そんな、普通だけどちょっといいキャラは自然にできたものじゃなくて実は計算されたものだって俺は知っていた。そのあざとさ。……たぶんそれは、仲いい男子しか知らないんじゃないかな。  髪の色だって地毛っぽくしてるけど、結構マメに染めてるんだぜ? あんまり怒らないイメージだけど、そいつ陰ではけっこう口悪いんだぜ?  まあ、言ってみれば女子でいう所の『ぶりっ子』みたいな、そういう所が悠斗にはある。それが女子に対して発揮されるものでなく、仲良くない人類全部に発揮されている。……つまりは、すっげえ人見知り。  人見知りだからこそ、努力して人好きしそうな外面を作っているっていうね、そういうやつ。そんなことって思うかもしれないけど、『全方向にいい人』ってのは並大抵の努力じゃできないと思う。そういうのも俺が悠斗を好きなところの一つだ。  俺が悠斗のその努力を知ったのは、偶然だった。  高校一年、そろそろ学校に慣れて、友だちも近い席のやつだけじゃなくて気の合うやつがわかりはじめた6月。それで、ちょっと理不尽なことがあった体育の授業の後。初夏って嘘じゃねえの、これもう夏だろ?って言いたくなるような、じめじめと暑い日の昼前。  俺は腹が痛くてトイレにこもってた。  もうすぐ授業始まっちゃうな、と思いながらちょうどいっかぁ……なんて。いやだってさぁ、高校生になって腹痛くてトイレこもってウンコしてるのなんて恥ずかしくね?  多分みんなやってんだけど。腹の様子も不安だし、授業始まっちゃえばどんだけゆっくりウンコしてもいいし、保健室行って休んどけばいい。……っていう、言い訳ができるじゃん? 仕方ねーな、みたいな。  まぁそんな感じで個室にこもってたんだけど、そうしている位だから、教室からは遠い、あまり使われないトイレだった。そんなとこまでいちいちやってきて、トイレの中でぶつぶつと授業中のぐちを言うやつがいた。  こんな所まで来て、バレないようにぐち言うってどんな奴だよ!?  そう思ったけれど、すぐにそれが悠斗だって気付いた。言っている内容は間違いなくさっきの授業のものだったし、立場と声からして悠斗しかいなかった。  あんなにいい人ぶってる悠斗が、こんな目立たないトイレまでわざわざ声に出して悪態吐いているとか、ちょっと信じられなかった。それでいて、もう俄然興味が出た。 『なんだこいつ? つまんねぇやつかと思ってたら、めちゃくちゃ面白そうじゃん!』  そこからは速攻。  その日のうちに声をかけて、それからも毎日声をかけまくった。アピールしまくって、だんだんに仲良くなっていった。でも、その頃に好きだなんて自覚したわけじゃない。  段々と仲良くなると、小さな毒舌を俺にだけ分かるようにポロリとこぼして見せたりする。その特別がなんだか猫を手名付けているみたいで楽しくなった。  それで、親友って言えるんじゃね?みたいに仲良くなって、ある時『あれ?』って気付いた。いつの間にか『全部の特別は俺だけに見せろよ』なんて思っていることに。  これって普通の友達?  そんなことで迷っているうちに悠斗が「好きな人がいる」とか言い出した。高校三年の夏のことだ。  もう、びっくりしたね。悠斗に好きな人がいることにも、そう言われてめちゃくちゃ傷付いている自分にも。  ──なんだよ、俺よりその女がいいの?  いやいやいや、そんなこと思いたくないんだよ。思いたくないけど、言っちゃいそうになるその言葉。  バイト先で出会ったっていう、教師志望の女子大学生。話を聞けば聞く程、悠斗がその人にぞっこんなんだってわかった。  そりゃわかっちゃうよ。二年近く親友やってて、ほとんど毎日一緒にいて、悠斗のことは誰よりも知ってるんじゃね?なんて自負してた。  まぁ、本当に悠斗のことは誰よりもわかっちゃうからさ、本当は好きな人がいるって聞く前に、なんかそんな気はしてたんだ。浮かれてるし、バイトの話するの楽しそうだし、夏休みの間にちょっとだけって予定だったバイトは、夏休みの間たっぷり予定入れちゃってたし。  夏の恋で終るのかな?なんて思っていたら、悠斗は頑張った。男を見せた。見事その女子大学生の心を射止めて、お付き合いなんて始めてしまった。  夏休み明け、笑顔でピースサインをして見せた悠斗に、キリと痛んだ胸の内を隠した。  ちゃんと祝ったし、応援もした。  けどさ、寂しいじゃん、やっぱ……。彼女に対して『何だよコイツ』って心ん中で思ったってしょうがないじゃん。  なのにさぁ、悠斗の彼女は本当にいい人っていうか、俺が反対する隙がないの。相手は女子大生。こっちはヤリたい盛りの高校生。なのにさ『大学合格までエッチはおあずけ』なんて言って。そのおかげで悠斗は猛勉強し始めて。  恋の力ってすごいね。見てるだけで、どれだけ本気で悠斗が彼女を好きなのか、痛い程分かっちゃった。  俺は、それを親友面して隣でただ見てた。  だって、俺だって止められないんだ。悠斗を好きだって思う気持ちが止められない。  俺だって好きだって言いたくて、でもそれよりも誰にも親友の座を譲りたくない。いつも隣で笑っていたい。彼女ができてからだって、時間だけなら誰よりも俺が隣にいたんだ。  ……心が、一番だっていう気持ちが手に入らないのなら、せめて隣で見ていたかった。それを捨てる勇気は、俺にはない──。  彼女が出来たって聞いてからは何度も想像してた。  ──それが俺だったら?  俺に向ける、気を許した笑顔。それで「ばーか!」なんて言いながら、階段でキスしたい。放課後の教室で抱きしめたい。二人きりの部屋で、一緒に勉強しながら一つのノートを覗き込んで、近付いた身体が自然に重なって、キスをして……。  全部、俺の勝手な妄想なんだけど。好きで好きで、そういうこと考えなければいいんじゃない?って思いながら、全然止めることができない。気付けば頭の中は、全部、悠斗。気付けば、想い出の場所は全部、悠斗と恋人だったら……って想像した場所になってた。  悠斗との想い出が、悠斗との願望に変わる。二人で過ごしたどの場所を見ても、好きだった気持ちと、こうだったらいいなって願望と、なんかそういうのでぐちゃぐちゃになる。  学校も、どこもかしこも、悠斗との思い出が多すぎた。一人で眺めるのは寂しすぎる。  大学は悠斗と離れる。三年になった時の志望校は悠斗と一緒だったんだ。けれど、悠斗はランク上の、彼女のいる大学に志望を変えた。  だから、悠斗と一緒に過ごすのは、この冬が最後だ。それを過ぎたら、きっと今みたいに会えなくなる。会わなくなる──。  ……だったらもう、早く卒業したかった。  どうせ離れるなら、早く離れたい。これ以上、苦しい思いでいたくない。毎日、悠斗の顔なんて見たくない。  ──…うそ、本当は見たい。悠斗と、離れたくない……。  まだ来ない別離に怯えて持ちが揺れる。  泣きそうな毎日に悠斗から届いたメッセージ。 『合格した! これで高校卒業! 俺の童貞も卒業!!』  おっっっまえ、ほんっとバカじゃねーの!  俺に、これ、送る? 俺、お前のこと好きすぎて毎日めそめそしてんだけど!?  正直、キレた。……それで、泣いた。今まで泣きたくなっても、我慢してきた。我慢してきたけど、もういいやって思った。  泣いちゃえ。  言葉にしなければ、態度にしなければ、それはなかったことと一緒だと思って、一人の時にも口にしたことなかった。  一度も口にしたことの無い言葉を、音にする。 「悠斗が好き、好き、好き……」  自分の声が、余りに切羽詰まっていて、おかしくて涙が出た。  何度もつぶやきながら、お風呂の中で泣いた。届かない言葉を、音を、誰にも聞かれないように、誰にもバレないように、涙をお湯に流して泣いた。  泣いて、泣いて、全部、流れて行っちゃえばいい。  最初から無かったみたいに。  俺の、心の中を、空っぽにするみたいに。  ──全部、流れて行け。        ◇ ◇ ◇  なんて、思ったこともありました。  今は卒業式の後。最後、見納めの制服姿。一番見慣れていて、でも多分もう二度と見ることはないはずだ。校内はざわざわと晴の日のセレモニー後の感動と寂しさに湧いている。  ついでに、俺の心も湧いちゃったね。  教室でみんなで卒業写真を撮り、最後のホームルームを終えて、げた箱に向かう。げた箱から校門までは後輩たちが別れを惜しむために集まっていた。色とりどりの花束やリボンが三階の窓から見える。  きっとそれぞれがはなむけの言葉を用意して、目当ての人を待っているんだろう。きっと、制服姿のその人に会えるのは今日が最後だから……。  俺はその最後の花道を通るのが惜しくて、最後まで教室に残っていた。悠斗はちゃんと親友よろしく俺を待ってくれている。  三年間、悠斗を好きだった。それが詰まった場所、学校とも今日でお別れだ。そう思ったら、自然に声が出た。 「悠斗!」 「何、急に?」  びっくりして、それから笑って悠斗が振り向いた。  ──あぁ、好きだったな。……ほんと、好きだったな……。  古い、卒業の歌が頭の中に響いた。  悠斗は、俺の青春、そのものだった。 「ちょっと、こっち」  こっちと手招きした俺に「何だよ?」と言いながら、悠斗は廊下から死角になる場所にやって来る。  そのまま、悠斗の両手を捕まえて……。 「俺、オマエのこと、好きだった」  くちびるを話す時に、言ってやった。 「これで、卒業だから、な」  呆けた顔に追加した。  ──これで卒業だから、俺も、オマエも。
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