11

1/1
前へ
/22ページ
次へ

11

 英語の教師の名前は、ルカと言った。  放課後、準備室に呼ばれている蓮は、ただひたすらに緊張しながら、そこへ向かった。なぜ、準備室にこいと言われたのか、分からなかったからだ。 (検索内容がバレていたら)  それだけは、避けたい。ただ、スマホを出せと言われても、そこは安心していた。なぜならば、シークレットモードで入力した検索単語は、履歴に残らない仕組みになっているからだ。仮に、英語教師がスマホを探っても、しらを切れる。 「ルカ先生、鳩ヶ谷です」  蓮は英語教師の準備室へと入っていった。英語準備室は乱雑に洋書が積まれていて、少しだけカビ臭い。 「わざわざすみませんね。鳩ヶ谷くん、紅茶はどうですか?」 「えっ?」 「お嫌い?」  ルカ先生は小首を傾げて問う。綺麗な先生、という印象のある先生だったが、少し、幼く見えた。 「いえ、紅茶は、好きです」 「じゃあ、ティータイムにしましょう。お菓子もありますよ」 「スコーンとかですか?」 「おや、イギリスの紅茶にお詳しい?」 「いいえ。ただ、アフタヌーンティーって言葉だけ知ってる感じです」 「日本のお嬢さんたちは好きですよね。アフタヌーンティー」  ルカ先生の言葉を聞きつつ、なんとなく、ルカ先生の言葉には、そこはかとない、嫌悪感があったような気がした。 「鳩ヶ谷くんは、茶道の経験は?」 「えっ!? あぁ、祖母が師範なので、幼少から。免状をもらったりはしませんが」 「それで居住まいが美しいのでしょうかね。自国の素晴らしいティーセレモニーを知らないような、お嬢さんたちが、他国のアフタヌーンティーを召し上がるのは、あまり好きではないんです。第一、ロンドンのティールームは、日本から来たお嬢さんたちで溢れてますから」  辛辣な言葉が、飛び出しているのを、蓮はどういう反応を返していいのか、戸惑いながら聞いた。 「いえ、こういう話をしたかったわけではなくて、ですね」 「なんですか?」 「まあ、まずはお茶をどうぞ」  差し出されたウェッジウッドブルーのティーカップにはティーバッグが入ったままだ。好きな濃さで飲めるので合理的といえば合理的だ。『紅茶の国』のイメージがあるイギリスの人でも、ティーバッグを使うのだな、とは少し思ったが、緑茶の国の日本でも、ティーバッグも使うし、ペットボトルに入った緑茶も飲むから、同じ事だ。  ともあれ、美しい紅色をした紅茶は、一口含むと紅茶の香りが口いっぱいに広がる。 「美味しいです」 「良かった。僕のお気に入りの紅茶なんですよ」  やんわりと笑うルカ先生を見て、そういえば、校内にルカ先生のファンクラブがあったことを思い出した。美しくて、優しい、物腰の柔らかな、この英語教師に憧れる人間なはかなり多い。そして、欲望を向けられることも多いだろう。 「……なにか悩んでるんですか?」  唐突に、ルカ先生は切り出した。 「えっ!?」 「シークレットモードで、なにか検索を掛けていたでしょう? ……もし、自分に危害を加えるようなことを考えているなら、そういうことになれば、僕は悲しいです」  綺麗に輝く、青色の宝石のような瞳が、うるっと潤う。 「ち、違うんです……」  まさか、アナニーを検索していましたとも言えずにいると、 「校内で嫌な噂が、流れているようですし……それを気にしているなら……」  いえ、僕も似たような噂が、良く流れるから、とルカ先生は恥ずかしそうに俯く。  美しくて柔らかな印象の、この英語教師に関する噂は多い。やはり、理事長のお気に入りで、毎日ベッドに通っているだとか。三年生の生徒たちに呼び出されて、輪姦されたとか。そういう類いの話ばかりだった。 「みんな、誰と誰が付き合ったとか、そういった話が好きですよね」 「えっ? そうですね。好きですね。ゴシップは」  ゴシップ。その単語に、かすかな嫌悪感を覚えながら、蓮は答える。 「僕は……、こういう噂には傷つかないです。誰がなんのためにこの噂を流しているか知っていますし、僕のほうが立場が上だとも知っていますから。実際、妙な誘いがあるのが鬱陶しいくらいです」 「なら良かった」  ルカ先生は、ほっと胸をなでおろしたようだった。 「検索を掛けていたのは、学校生活とは別の悩みがあったからです」 「何か、協力出来ることはありますか?」 「そうですね」と蓮は、考える素振りをしてから「先生が、僕が授業中になにかを調べていた事を。誰にも仰有らないでいてくださることが、一番、僕の役に立つと思いますよ」 「そうですね」  ふふ、とルカ先生は笑って「『あなたは英語の発音の違い』を気にしていた。それだけですね」 「ええ、ついでに『イギリス英語に興味が出たのでシェイクスピアを原文で読むのに付き合ってもらえると助かります』」  蓮もニコリと、笑うと、ルカ先生は「なかなか、したたかな性格をしているようですね。まあ、構いませんよ。僕も大学時代、シェイクスピアは読み込みましたから、一緒に読むことくらいは問題ないですよ」  蓮とルカ先生は顔を見合わせて笑い合う。それが、お互い、なにかの都合が良いのだ。  蓮は平穏な放課後を手に入れる事ができるし、勉強にもなる。ルカ先生にも、嫌な噂はあるというから、なにかの役に立つのだろう。おそらく、嫌な虫を遠ざけるのが目的だろうが、それならば、さしずめシェイクスピアは、『蚊取り線香』のようなものということになる。
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

114人が本棚に入れています
本棚に追加