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掠れた土色とあせた緑がまだらになった、妙な模様の服を着ている。立てた膝の下は、山伏のような脚絆があてられていた。それもまだら模様で、全身が林に溶け込むような色合いだ。
切れ長の目ときつく上がった眉が細面を引き締めている。女の目には、魂を根こそぎ吸い込みそうな力があった。
立った自分と尻を地に着けた女の目の高さがほぼ同じため、視線がつい重なり、さよは困惑した。黙っていると本当に魂を奪われそうに思え、さよは苦労して声を絞り出した。
「あの、おねえちゃんの名前は? あたしはさよ」
「冴だ。少し似ているな」
ほんのわずかに冴の口元がゆるみ、さよもつられて微笑む。
「さっき、石を割ったよね。ぎゅっと握って」
「ああ、生まれながらに剛力でな」
「お侍なの」
簡素な拵えの刀が一振、地面に転がっている。
「いや、流れ者だ」
「お仕事は?」
「万屋。金をもらい、なんでもこなす。よくある勤めは用心棒だな」
物騒な職を口にするが冴の目は澄んでいた。
「どうしてこの淵に来たの」
「昔に立ち寄った場所でな。懐かしかったんだ。ところで」
質問を浴びるばかりだった冴が切り返した。
「先ほど龍神と言っていたが、この淵に住んでいるのか。それとも、あの祠か」
冴の指さした先に、さよはひいっと小さく悲鳴を投げた。
「屋根がないよ」
ぱちりと焚火が爆ぜた。
「まさか、壊して燃やしちゃったの」
「私が来た時からあの有り様だ。これに見覚えはないか。祠の陰に落ちていた」
冴の手には短刀があった。
「わかんない。あたし、帰るね。お父に祠のこと知らせなきゃ」
小さな背中を、冴が呼び止めた。
「用があってここに来たのではないのか」
あ、とさよは口を丸くあけ、着物の合わせから取り出した竹筒を見詰めた。
「水を汲むのか」
冴が腰を浮かせて腕を伸ばした。さよが動く間を与えず、竹筒が冴の手に移る。さよには、冴がいつ自分の手から竹筒を取り上げたのかわからなかった。冴の動きは、水が流れるような、風が吹くような、兆しの見えないなめらかさだ。
頭と肩を一切揺らさず、冴が立ち上がる。
座っていた時から、冴が村の誰よりも大きなことはさよにもわかっていたが、実際に立った姿を目にすると、頭が雲に届くのではないかと勘違いするほどの背丈だった。
「なぜ、村の決まりを破ってまで水を持ち帰るのだ」
「淵の水は体にいいって聞いたから。お母の咳が止まらなくて。だのに沢の水は減って濁ってるし」
冴は大きく頷き、滝へと進む。背中が縦にも横にも振れない。淵から突き出た岩につま先を置き、岩壁に指を掛けた。残る手で滝からの水を竹筒に注ぎ入れる。関節を伸ばした脚と腕は、羽を広げて風に乗る青鷺をさよに連想させた。
「淵よりも滝の水のほうが、効きそうだと思ってな」
「ありがとう」
母に早く水を届けたいと願う気持ちと、屋根の失せた祠への気掛かりを抱え、さよは山道を駆け下りた。
「冷たくておいしい」
さよの母は、娘が持ち帰った竹筒を一息で空にした。白かった頬に血の気が差す。
「人に会わなんだか」
父が小声で訊く。さよは無言で首を縦に振る。冴のことは伏せた。
よそ者の出入りに眉をひそめる村人も多い。ましてやそれが、村の神聖な場所なら尚更、とさよなりに考えたのだ。さよは聡い子だった。
「祠が壊れてて、これが落ちてた」
てみじかに伝え、短刀を見せた。
「沢が枯れ気味なのは、龍神様がお怒りなのかもな。久衛門様に知らせなくては」
「あたしが淵に行ったって、ばれちゃうよ」
うう、と唸り父は腕を組んだ。
「沢の水が減って村は困っとる。皆のためにもやらなくては。祠が壊れとるのをみつけた手柄で、淵の件は見逃してくれるのではなかろうか。壊した者の手掛かりもあるのだし」
父親の見通しは甘かったと、この先思い知るのだった。
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