憑物

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 さよと父で領主、久衛門の屋敷を訪れた。庭に通され、親子は土下座で領主を待った。夏の日差しが二人の背中を焼く。額から垂れる汗を地面に幾つも吸わせた頃、縁側を踏む音が近づいた。 「祠が壊れておったとは(まこと)か」  久衛門は肉があふれ首と一つになったあごを大きく動かし、怒鳴り声をあげた。 「はい。それとこれが落ちとりました」  父親は土に額をこすりつけ、短刀を捧げるように両手で差し出した。  庭に降りた久衛門が短刀をひったくる。一目見て、垂れた頬の肉をふるわせた。  権助の匕首(あいくち)だ。  翌年に元服を迎える息子が、寸の短い刃物を懐に入れて粋がっているのを、久衛門は知っていた。祠を破壊したのは息子だと即座に断定する。  どう誤魔化したものか、と首を捻った後ろで、畳を踏み抜かんばかりの足音がした。 「父上、なんじゃそいつらは」  祠と耳にし、慌てた権助だ。春の終わりに祠の屋根を()いで以来、沢の水が減っている。次は自分に龍神の祟りがあるのでは、と気に病んでいた。村で最も大柄な権助は、粗暴で小心だった。  顔を合わせた刹那、跡継ぎの不始末を有耶無耶にしたい父と、他人に罪をなすりつけたい息子の思惑が一致した。 「壊れていたと言っとるが嘘じゃろ。俺にはわかる。その娘がやったんじゃ」  壊した張本人の権助がさよを指さす。 「あたしはやってない」  体を起こして否定するが、久衛門は受け付けない。 「頭が高い、控えろ小娘。それでは訊く。なぜ下僕のお前如きが祠の様子を知っておるのか。淵に行ったのではあるまいな。ああ、どうなのだ」  痛い箇所を突かれ、さよと父は土下座で縮こまるよりなかった。 「父上、俺に良い考えがある。少し待っていてくれ」  権助は屋敷の奥に消え、白塗りの面を手に戻って来た。目は黒、口は朱の墨で描かれ、ともに端の吊り上がった狐面だ。 「これをかぶるんじゃ。正気で壊したとなれば、(はりつけ)にせねばならん。それはいかにも(むご)い。狐憑きになったふりをしろ。狐のせいなら仕方がないと、村の者どもの怒りは小さくなる。良い考えじゃろ。俺は情に篤い男なのじゃ」 「さすがは我が息子。お前ら、恩に着るのだぞ。息子の名案がなければ死んでおるぞ」 「あたしじゃない。短刀の持ち主をさがしてください」 「(わし)らがせっかく情をかけてやっているのに、口ごたえするとは何様のつもりだ。村を叩き出されたいのか。水を盗みに行ったくせに図々しい」  さよ親子が屋敷から出たのは、日も半分がた沈んだ頃だった。さよは狐の面をかぶり、胸の前で手首を曲げ、両足をそろえて跳ねる。久衛門の許しがなければ、面を外すことも、普通に歩くこともできない。  村人に会うごとに「物の怪に()かれた顔は大層醜く」と父は苦渋の声で言った。さよは面の奥で泣いた。
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