憑物

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 水に濡れた服は、まだら模様が鱗に見えた。頭巾で髪と口元を覆っている。腰が抜けて尻もちをついた人々の前を、龍神に化けた冴が進む。滴る水の上を滑るような足捌(あしさば)きで。 「この娘が祠の屋根を()がした。連れていけ。食うなり、血をすするなり好きにせよ」  権助がさよの襟首をつかみ、冴へと突き出す。村一番の体つきを誇る権助も、冴と向き合うと頭一つほど小さかった。権助の腕がふるえていることに、さよは気付いた。  大きく開いた冴の(てのひら)が、ゆっくりとさよの顔に近づく。怯えた権助は、ひいいと細い悲鳴をもらし、己の肩を抱いた。  さよはまるで動じない。冴の目が笑っていたからだ。  自分を救うために冴は龍神になりきり、一芝居打ってくれている、とさよは悟った。  狐面に冴の指が掛かる。力を入れたふうもないのにぱかりと割れた。冴の腕はよどみなく動き、懐から竹筒を取り出してさよに手渡す。周りの者には、竹筒が龍神からの授かり物に映った。  ここで冴の動きが荒いものに一転した。権助の胸倉をつかみ、股に手を当て持ち上げる。急所をつかまれているのか、権助は顔をゆがめ木彫り人形の如く動かない。石をも砕く冴の握力だ。権助が泡を吹いていないのは、十分な手加減がなされている証左だった。  冴は木偶(でく)を頭上に差したまま淵に潜った。権助は喉に流れ込む水に激しくむせながら泣き声をあげ、間もなく消えた。 「お前ら、助けに行かんか」  はよう、はよう、と久衛門は村人の腕を引くが、腰を上げる者は一人もいない。  息が続かなくなる頃合いに頭が二つ浮いた。権助は背後から首に腕を巻きつけられている。空気をむさぼろうとしても、喉を潰され口を激しく動かすだけだ。 「言え」  冴が低く声を発し、腕をゆるめた。ひゅうと笛のような音をたて、権助が息を吸う。 「言わぬか」  腕がまた権助の首に食い込みかけた時。 「俺がやった。さよじゃない、俺なんだ」  なにをやったのか。詳しく言わずとも、祠に手を掛けたのは領主の息子だと、淵に居合わせた者たちは感づいた。  自白したものの、冴の長い手足に絡みつかれた権助は水面から姿を消した。  権助様は罰を食らったんじゃ。  人と人の間から、同じ類の(ささや)きがもれた。  静まっていた蝉がまた鳴き始める。かなかなと重なる声が分厚くなった時分、気絶した権助が淵の中央に浮かんだ。
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