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狐面を冴に割られてからというもの、領主親子はさよに手を出せば龍神に祟られると怖れ、村人は龍神自らが狐の憑物を祓い、淵の水を竹筒に入れて施したと噂する。子供たちはひっそりと、さよを「龍神憑き」と呼んでいる。
夏の間続けた淵の水のおかげか、母の具合も随分と良くなった。
さよはあれから、冴と会っていない。礼を述べ、尋ねたいことがあるのだが、朝に水を汲みに行っても淵に人影の差すことはなかった。
入道雲も消え、空が高くなった頃、さよは久方ぶりに淵の畔で大きな影を見た。勢いよく地面を蹴り、手を振って呼びかける。
「おねえちゃん」
冴は例によって魚に枝を通し焼いている。
「会いたかった。ありがとう。本当にありがとう」
自分の身に起こった変化や母のこと、沢に水が戻ったことなど諸々を伝え、また礼を言った。
「そこまで恩に着てもらわなくてもよいぞ」
「ううん、なんべん頭を下げても足りないよ。どうしてあたしを助けてくれたの」
尋ねたかったことの一つを切り出した。
「万屋だからな。さよは祠を壊した者を知りたかったのだろう」
「うん。でもあたし、お金払ってないよ」
「私からさよに願い事がある。それがお金の代わりだ」
「なに」
「沢の流れが寂しくなったら、滝の上を見回ってくれ。それで」
「邪魔な石があれば、除けるんだね」
言葉を先回りされた冴の目が大きく開く。そして、ささやかに笑った。さよは顔中をゆるめて声を高くする。
「おねえちゃん、狐の面を割った時も笑ってたよね」
「龍神のふりをした私を、皆が信じていたのが面白くてな」
「角はどうしたの」
「木の枝だ」
角にそっくりな木の枝を探す冴を想像し、さよはまた笑った。
「あのね、おねえちゃんって本物の龍神様でしょ」
冴の険しい眉が丸くあがる。どうしてそう思う、と問う声にも丸みがあった。
「淵から出たおねえちゃんを見た時はね、ふりをしてるだけと思ったの。でも里に帰って考えたら、魚をばりばり食べても罰で沢は枯れてないし、おねえちゃんが来てから元に戻ったくらいだし」
長い腕が伸び、さよの頭をなでた。
「聡いな」
冴の手が髪の上を滑るたび、清い水の匂いがする。
「私に代わって沢を守ってくれ。頼むぞ」
以来、さよの村での立ち位置は大きく変わった。ただの村娘から、居なくてはならぬ者へと。
沢の流れを司り、村に平穏をもたらすさよを子供だけではなく大人も、敬いと畏れの念を込め「龍神憑き」と呼ぶのだった。
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