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どのくらい経っただろうか。
キーウィが目を覚ます。簡易宇宙服は着ているが、宇宙空間ではない。狭いシートに身体が固定されている。見覚えがある、この室内は。
「……緊急脱出ボートか」
ポツリと呟いた隣で「御名答」と声がした。同じく狭いシートに身体を固定しているペングェンだった。キーウィの隣で身を寄せている。
「……流石に二人は狭いな。ああ、月が随分と暗い」
キーウィが声を落とした。
「ヴェートーベンはピアノを弾く盲目の伯爵令嬢に恋をして月光を作曲した。でもフラれたわ。月が無かったのよ」
ペングェンは窓から外を見ている。
「香水のトラップにはやられたよ。完全に誘導された」
「だから言ったじゃない。『同じことの繰り返しはアイデアがない』って」
そうして追っ手を振り切ったペングェンはどうにか時間内に目的地へ到達できたのだ。
「何故、俺は生きている? 月の軌道を変える程の爆発じゃなかったのか」
「第1楽章が爆発なら、第2楽章は趣向を変えて加速にしたの」
チラリと見やる月面の端に何かが輝きを放っている。
「『暴走』の制御が難しければ、長時間かけて加速させればいい。私の乗ってきた宇宙船を月面に固定させ、そのまま最大出力噴射。4時間ほどの繰り返しだって」
「だが凄まじい衝撃に違いはない」
「そう。だからなるべく安全な基地奥にあなたを誘導した」
しかし、そこから最後の難関が。
「どうやって俺を見つけた? 暗闇に飛び散った膨大なデブリの中から」
「リモーターに頼んであったの」
さも事もなげに。
「多分、ゆっくりと接近するだろうからそのときに発信機を付けて欲しいって。私はあなたとさえ遭遇できれば、それでいい」
「……勝てんよ、お前には」
キーウィがそっと両手を組んだ。
「あら、やっと理解したの? ちょっとばかり遅いんじゃないかしら」
悪態をつくその眼前に、ゆっくりと地球の姿が見えてくる。月夜の暗闇に浮かぶ水と緑の星との、荘厳な遭遇。
「ああ、美しい星だ。俺はこの星を守ろうとして――」
「ねえ、知ってる?」
ペングェンがその右手をそっとキーウィの手に乗せた。
「量子力学的には『観測者がいるからこそ物体は存在する』の。だから私たちが『この星は美しい』って思えば地球は美しくなる」
「……」
キーウィは黙っている。
「例え首尾よく人類を破滅させたとして、あなたはその死屍累々の平原と廃墟の山を見て『美しい』と思えるのかしら?」
「どうすればいい、俺は」
少し間を置いて、ぼそりとキーウィが呟く。
「今さらどんな面を晒して生きられようか」
その問いに、ペングェンがふふ……と微笑んだ。
「『私たちを再び結びつける。生き方が異なってしまった私たちを』……知らない? この有名な一節」
「馬鹿にするな」
キーウィがふっと頬を緩める。
「ヴェートーベン交響曲第九番、その最終楽章『歓喜の歌』だ」
完
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