奔走

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奔走

  寧々は、やってこないエレベーターのボタンを何度も押して、飛び乗った。 (あぁ……ほんの数ヶ月前……こんな事有った、詠臣さんと始めて会った日! お願い、今日も間に合って!)  エレベーターが一階フロアまで到着すると、寧々の焦る心とは裏腹に、扉はゆっくりと開いた。それを合図に履き慣れないヒールで必死に出入り口に走った。 周囲の視線は自分に集まっていたが、構っていられなかった。  ホテルの出入り口には、今日のパーティーを開催した企業の社員が二人、腕章を付けて参加者のお見送りに立っていた。 「す、すみません! キエト少佐はどちらに!」  大した距離を走ったわけではないのに、既に息が切れてゼーゼー言う自らの体が憎かった。膝に掌を押しつけて体勢を保ち、相手を見上げた。 「えっ……あっ、少佐でしたら、あちらに」  女性社員が指差した先には、白い軍服を着た後ろ姿の男性が二人、外の車寄せのスペースで今、まさに迎えの車を待っていた。  寧々の体に緊張が走り、二人の後ろ姿を目指し、再び駆けだした。 「待って! 待って下さい!」  寧々が叫ぶと、少し先に立つ二人が振り返った。  一人は、眼鏡を掛けた年若い青年で、もう一人は……会場で此方を睨んでいた顔に傷がある青年だった。おそらく此方がキエト少佐だろう。 「行かないで!」  走り寄る寧々を、酷く驚いた様子でキエトが見つめている。  鋭い目が見開かれて、まるで……信じられないものを見ているかのようだった。 「キエト少佐!」  駆け寄った寧々は、彼の逞しい腕をグッと両手で握った。 その時、丁度、目の前に車が止まった為に、ビクッと震えてキエトを引き寄せるように腕を引いた。 名前を呼ばれたキエトは、一瞬落胆したような表情を見せたが、寧々の目は車に釘付けだった。 「あっ……あ、あの……」  寧々は、追いついた事にほっとして、やっと自分が日本語で叫んでいた事に気がついた。  どうりで相手がとても困惑しているはずだ。  知らない女が必死に駆け寄ってきたけれど、何を言っているのか分からないのだから。  はぁ、はぁと呼吸を整えながら頭の中を整理する。 (何と……何て伝えれば……) 『アンタ誰だ、何が目的だ』  目の前のキエト少佐が、迷惑そうな顔でタイの言葉で寧々に話しかけた。 「貴方は? 少佐に何かご用ですか?」  隣に立つ眼鏡の青年が寧々に英語で話しかけた。 「あの……」  キエトの言葉も寧々には通じていたが、彼の寧々を歓迎してない物言いに、言葉が通じていることが知られると気まずく、眼鏡の青年の方に視線を向けた。 「真実かどうか分からないのですが、先ほど……キエト少佐のお車に細工をしたという話を聞いて……それで、お引き留めしてしまいました……」  眼鏡の青年が寧々の話を聞き、キエトの耳に顔を寄せて、一言二言話すと、キエトが顔を顰めた。 『命を狙われているのは何時もの事だ……こんな下らないことで、大騒ぎして駆けつけられても迷惑だ……くそっ…』  キエトは、あからさまに寧々から顔を逸らし、眉間の皺を深くしている。 (も、もう……絶対に言葉が通じているのは……バレたら駄目……気まずい……うぅ……ちょっと泣きそう……)  半泣きになりながら、ちらりとキエトを見上げると……彼は大きなため息をついた。 「ご忠告ありがとうござます。しかし、そのような事態も予想して、常に警戒しております。この車も用意された物ではありません。しかしながら、もう一度手配したいと思います」  眼鏡の青年が寧々に頭を下げた。 『おい……来い』  寧々が掴んでいるキエトの腕は軽く振り払われ、そのまま寧々の背中辺りに添えられた。 「今の騒ぎが犯人達の知るところになると、貴方が危険かもしれません。私は事態の収集と車の手配に参ります。貴方は少佐と少しの間お待ちください」 「あっ、あの私は大丈夫です!」  戻れば、祖父も詠臣もいる。そう思って断ったが、寧々の言葉は無視され、キエトが歩き出した。 『早くしろ』 言葉とは裏腹に、その足は意外と緩やかで、寧々の歩調に合わせていた。
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