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変化
葉鳥邸に近づいてくると、家の前には見たことが無い車が止まっていた。あまり街では見かけない黒い海外の高級車だ。
海に囲まれたこの島国で海外の車を手にするのは、ごく一部の人間だ。海を越えなければならない大きな物の物流はコストが高い。空路で運べないものは、護衛艦つきのコンテナ船に乗せる為に、非常に高価格になる。
「お客さん?」
「……」
家に着く少し手前で、琳士の脚が止まった。図らずも手を繋いだ状態の寧々の足も止まる。
「琳士?」
寧々が琳士を見上げると、普段はボーッとすした表情の琳士が。眉間に皺を寄せて怖い顔をしていた。
「寧々、今日は帰って」
琳士が寧々の手を放して、肩を掴み後ろを向かせた。声のトーンが普段より低い。
「どうしたの?」
「いいから! 早く行って」
「この家と土地じゃ、曰わく付き過ぎて返しきれねぇな!」
周囲に響き渡るくらい、大声を出した男が葉鳥邸から出てきた。まるでワザと周囲に聞かせようとしているみたいだ。
男は頭に毛の生えていない、黒スーツに柄シャツという、いかにもな人物で、後ろからは舎弟のような厳つい男性達が三人出てきた。
「……琳士」
寧々が、一体何事かと琳士を見上げると、琳士は自分の後ろに寧々を隠すように立った。
「黙ってて」
琳士が静かな声で言った。
「おやぁ? 弟くんのお帰りかい?」
男が大きく手を広げて、大げさに驚いた顔を作った。
「おい、話は聞いた。さっさと帰れ!」
最後に出てきた匠が、男達よりも前に出て門扉を開くと、琳士の前に立った。
その時、寧々の存在に気がつくと、一瞬困惑した顔をした。
「いやー、コレは二人の問題だろ、弟くんにも、ぜひ聞かせてやらないと」
ニヤニヤと笑っている男が、ゆっくりと肩で風をきって歩いてくる。
寧々は、琳士と匠の体で前が見えず、顔を覗かせようとしたけれど、琳士に強く腕を掴まれて、留まった。
「帰れ」
匠が低い声で言った。
「おー、怖い怖い。まぁ、今日の所は帰るとするか……でも、また寄らせてもらうからな」
男が匠を小馬鹿にするように肩をすくめて、舎弟がドアを開いた車の中に、自らの太った体を押し込めた。
「……」
二人は微動だにせず、車が走り去るのを見送った。
車の音も聞こえなくなった頃に、匠のため息が聞こえた。それを切っ掛けに、寧々が琳士の腕を振り払って、匠に近づいた。
「匠さん、今のは?」
「兄さん?」
「……とりあえず、入るぞ」
チラチラと視線を感じ周囲を見回すと、近隣住民がヒソヒソと話をしていた。
三人は視線から逃れるように、家の中へと移動した。
「兄さん、あの見るからにアレな奴ら何の用だったの?」
「……」
リビングにやって来ると、匠はソファに体を投げ捨てるように座った。目を瞑って天を仰ぐ、その疲れたような様子に、寧々は心配で仕方なかった。
「まんまだ。まさに借金取りだ」
「借金⁉」
琳士が匠の方を向いてソファに座った。寧々は、その反対側に腰を下ろした。
「アイツが、逮捕される前に、逃亡費用にアイツらから金を借りたみたいだ」
匠がゆっくりと頭を起こして、うつむき眉間を抑えた。
「はぁ⁉ で、その金は?」
琳士の声は怒りを隠すことも無く鋭かった。
「刑務所の中で優雅に暮らしているそうだ」
「……もう、死ねよアイツ」
琳士が、ぐったりとソファにもたれ掛かった。
「あっ、あの! それって、おじさんの借金ですよね?」
葉鳥兄弟が返す必要があるのだろうかと、寧々が疑問に思って聞いた。
「常識が通用する相手じゃ無い」
匠が寧々を見て小さく首を振った。
「……」
(どうして……二人が、こんな目に遭わなければならないの……おじさんは……なぜ…こんな事を……)
寧々は、昔から二人の父親が怖くて苦手だった。息子達、二人も父親を嫌煙していた。
二人の父親、葉鳥 仁彌は、外面が良く、家の外では和やかに振る舞っていたが、本来の気性は高圧的な男で、息子にも妻にも黙って従う事を求め、時には暴力を振るった。
耐えかねた二人の母親が、外に男を作って出て行こうとすると、相手の男と妻をナイフで刺して殺害し逃亡した。彼の逃亡劇は二週間ほど続いた。
「でも、なんで、今更なんだよ! っていうか、幾らなの?」
「法外な利子付きで、この土地と建物をかっさらった上に、三千万だそうだ」
「はああ?」
「別に今更、此処はいらない。だが、例えば三千万返しても終わると思えない。あの男には、もう、うんざりだ……」
「匠さん……」
寧々には二人に掛ける言葉も見つけられなかった。
自分には、もう両親はいないけれど、まともで無い親が居るのは、居ないよりも遥かに大変なのだと二人を見ていると痛感する。自分が寂しいと思うのは、父も母も優しくて温かい両親だったからなんだと思う。
(私には、何も出来ない……何も……力になれない。自分で稼ぐお金も無いし、二人を助けられるような法的な知識や、何らかの発想もない……)
寧々は、無力感に苛まれた。
暫くして、匠が寧々を送って行くことになった。
大丈夫です、と寧々が断ったが、気分転換にと二人で散歩がてら遠回りをして帰ることになった。
「……だんだん暗くなるのが遅くなってきましたね」
寧々は、何を話して良いか分からず、つまらないと思いながらも天気の話をした。
「そうだな。暑くなってくるな……ちゃんと水分をとれよ。すぐ倒れるから」
「匠さんこそ、工場、すごく暑そうだから気をつけてくださいね」
「ああ」
琳士と歩くときよりも、離れた距離感に、いつもは何とも思わないのに、焦燥感に襲われた。
「懐かしいなぁ、この公園。よく琳士と一緒に匠さんに遊んで貰いましたね」
住宅地の中にある、広い公園には、ブランコや鉄棒、木で出来たアスレチック、砂場がある。懐かしくなり、二人は寄ってみることにした。
「ここ、こんなに小さかったか?」
「そうですね。大きくなって来ると変な感じですね」
寧々は、懐かしくなって、ブランコへ向かい、腰を下ろすと、脚を突っ張り、勢いを付けてこぎ出した。
「ひやぁぁ……お腹がすーってなります!」
スカートをヒラヒラさせながら、一人で騒ぐ寧々を匠が微笑んで見守っている。
昔から変わったことが沢山あったけれど、寧々は変わらず匠と琳士の側に居た。今まで側に居た人間が掌を返すように離れ、嫌悪の視線を向け、罵声をあびせるなか、寧々だけが、明るく振る舞ってくれた。寧々が居たから、匠も琳士も苦しいながらも道を踏み外すことなく生きて来た。
少し感傷的になった匠が、眩しいものを見るように目を細めて寧々を見つめている。
「匠さんも乗って下さい」
寧々が片手を離して隣のブランコを指さした。
「手を放すな」
「あっ! そういえば」
寧々は、ブランコから、すっと下りて立ち上がると、フワフワとした感覚が残ってしまい、脚に力が入らずに、フラついた。
「寧々!」
直ぐ側に立っていた匠が、寧々の体の前に腕を差し出して引き寄せた。
匠は、いつも一緒に居る琳士とは違う、細くて小さな寧々に驚いて目を見張った。
「すいません。ちょっと酔いました……」
匠の腕を掴んだ寧々が、振り返るように彼を見上げると、二人の視線が思いのほか近くで交わった。
「匠さん」
寧々の腕が匠の顔に近づく。
「……」
匠の柔らかい髪を掻き分け、寧々の手が止まった。匠は少し困惑しながら、寧々の様子を見守っている。
「あー、残っちゃいましたね。私が木から落ちて枝で切っちゃった傷」
匠の右のこめかみに残った傷を寧々の指が撫でた。その感触から逃げるように匠が目を閉じて寧々の手を遠ざけた。
「すいません」
「別に。どうせ琳士のせいで傷だらけだ」
「あー、確かに」
今よりも、ずっと落ち着きの無かった琳士は、しょっちゅう無謀なことをしては、匠に助けられていた。そのせいで匠も琳士も生傷が絶えなかった。
「琳士も大人になりましたね」
「デカくなりすぎて、今は頭を色んな所にぶつけてるけどな」
「匠さんも大きいのに、琳士はもう枝人間ですよね。頭ぶつけると、その分のびるのかな?」
寧々が自分の頭頂部をトントンと叩いた。
「伸びないだろ」
「伸びないかぁ」
クスクス笑いながら、公園内を歩いた。
すると、匠が公園の掲示板の前で足を止めた。
「どうしました?」
匠が真剣に見ているポスターを、寧々が覗き込んだ。
そこには、どこでも見かける軍への入隊をすすめるポスターがあった。
最近は特に、テレビや動画の広告にも増えた。
世界中の海で、石油などの、海洋資源の採掘のために、付近の大型恐竜の群れの駆除が行われて数十年。
それは、一時的には人類に発展をもたらしたが、生態系の変化により、陸地に上がる事ができる恐竜が大繁殖をした。その対応で海岸や河川の防衛強化が続いている。
有効な兵器を持たない発展途上の国々では、壊滅的被害を受ける都市が続出し、先進国への批判が高まっている。
昨年度開かれた、世界会議で先進国による共同での軍の派遣が決まった。
その為に人員補給をしたい軍による募集が活況だ。
「行ったりしませんよね?」
そのポスターを真剣に見つめる匠に、寧々が不安になって手を当ててソレを隠した。
寧々の両親は軍人で、海洋に出る船の護衛任務中に殉職した。深い海域にいる大型恐竜はビルよりも大きく、深海から一気に浮上してくるとレーダーで捕捉しても攻撃や回避が難しいことがある。
(海は綺麗だけど、恐ろしい場所。恐竜は…海竜は怖い……)
「あぁ……」
匠の返事を聞いても、心配で溜まらなかった。
それから、借金取りの取り立ては、激しく遠慮無いものになった。匠の職場や、琳士の高校の前にくる事も有り、琳士はバイトも首になってしまった。
心配した寧々は、祖父に相談するものの、関わるなと念を押されるばかりで……。
大した額にはならないけれど、自分もバイトをして、と考え夏休みにイベントのバイトをしたのだたけれど、一週間ほど体調を崩すはめになり、二人と祖父に酷く怒られた。
役に立たない自分が、本当に腹立たしかった。
(どうしよう……このままじゃ、きっと……二人は此処には居られなくなっちゃう……どこかへ行ってしまう……)
そんな寧々の不安は的中した。
「俺達、ASEANの世界合同出資部隊に志願した」
話があると呼び出された葉鳥邸に寧々が着くと、言いにくそうに琳士が切り出した。
「……そんな」
最悪の予想が現実となってしまい、寧々はその場に崩れ落ちるように、しゃがみ込んだ。
「寧々!」
琳士が驚いて腰を上げ、近くに居た匠が駆け寄り、その肩に手を置いた。。
「やめて……行かないで!」
縋り付くように、寧々が匠の胸元のTシャツを掴んだ。大きな瞳には涙が溢れている。
「これが一番良い選択だ」
すまない、と謝った匠が、自らに縋り付き震える寧々の手を掴んだ。
「寧々、凄いんだよ。住居も用意されてるし、生活費も殆どかからないのに、給料は高額だし、海竜対策で作られた島のSDIには、許可が無い人間は入れないんだ」
「何より、そこでは犯罪者の息子扱いもされないし、借金取りも来ない。まともに暮らせる。十年そこで働けば、周辺国の国籍も取得できる」
「でも……海竜と戦うんですよね⁉ そんなの……危険すぎます……」
護衛艦ごと海竜に沈められた寧々の両親は、骨の一本すら帰ってこなかった。幸い、護衛対象だったコンテナ船は戻ってきたが、その壮絶な現場の話を聞いて、しばらく水を見るのも怖かった。
「寧々…」
「ここに、居てください」
寧々の腕が匠の首に回り、離れたら消えてしまうかのように、ぎゅっと抱きついた。寧々の温かい涙が匠の肌を伝う。
うわごとのように「行かないで」と繰り返す彼女に、二人の心は酷く痛んだ。
匠も琳士も、寧々と離れたいわけではない。
「……」
匠は、自分の気持ちが伝わる事を恐れ、寧々の体を抱き返すことは出来なかった。
「いやです……二人が怪我するのも、帰ってこなくなってしまうのも……やだ…」
寧々が何とか二人を説得しようと体を離した。
「寧々、別に最前線に行くと決まったわけじゃない」
「だって! もう、そこが最前線じゃないですか……軍隊じゃ無くて、他の街とか、そういうのじゃ駄目なんですか」
「日本じゃ何処も同じだ」
「寧々、大丈夫だよ。俺たち寧々と違って身体能力高いからさ」
琳士が笑って寧々に歩み寄り、その頭をポンポンと撫でた。
「琳士なんて……絶対、軍隊生活なんて出来ないよ、朝起きられないし、ぼやっとしてるし……やめようよ!」
寧々は、匠の下から離れて立ち上がり、琳士の手を両手で掴んだ。
「寧々に貰った目覚まし持って行くよ」
「……ばか……琳士の……ばか」
琳士の言葉に再び涙が止まらなくなった寧々に、琳士がオロオロと困った顔をしている。
「寧々……泣くな。これでお別れだ」
匠が寧々の肩を優しく叩いて言った。その言葉に目を見開いた寧々が匠を振り返った。
「おわ、かれ?」
見上げた匠は、悲しそうに微笑んでいた。
(胸が苦しい……いつもの発作より……ずっと痛い……)
ぎゅっと胸元の服を握りしめる寧々を、心配そうに二人が見守っている。
「あいつらに察知される前に行く。事情を話して次の輸送機に乗せて貰えることになった」
(もう……決まってたんだ……もう、止められないの?)
「いつ……」
辛うじて出た声は震えていた。
「明日」
「……」
血の気が引くのと同時に、強い怒りが湧いてきた。彼らをこんな目に遭わせることになった、彼らの父親に。何も出来ない自分に。悲しみと怒りを押し込めるように、寧々は目を閉じてギュッと両手を握りしめた。
「また会えるよね。帰ってくるよね? メールは? 手紙は?」
涙を耐えて、最後の希望を言葉にした。
しかし、二人は寧々と目を合わせなかった。
「……」
琳士はため息をついて後ろを向いた。
匠が、寧々の正面に立ち、その震える細い肩に手を置いた。
「二度と帰ってこない。寧々とは、もう連絡は取らない。きっとアイツらも暫くは寧々の様子を探るだろう。軍の重鎮である空将の孫に手を出すほどバカじゃ無いと思うが……きっと色々と調べるだろう。寧々の為にも、俺達の為にも……もう会わないし連絡もしない」
「……そんな……」
「あー、残念だよ。きっとアッチで出来る可愛い彼女を寧々に自慢できない」
琳士が目に涙を溜めて軽口を叩いた。鳥の巣のような髪を掻き上げながら、鼻を啜り、力なく笑っている。
「俺達は、向こうで上手くやる。やっと、まともな暮らしが出来る。寧々も、体に気をつけて元気に過ごせ。もう無理しても助けてやれないからな」
「……」
(もう、二人に会えない? お父さんや、お母さんのように……もう、二度と……話も出来ないし……姿を見ることもなくて……二人の思い出だけそこにあって……何度も、何度も思い出すけど……会えない…それに、酷い目に遭ってないか、元気に過ごしているか、心配なのに、彼らの様子を知る術もない……)
寧々は、悲しい現実を受け入れたくなかった。
これが夢だったらいいのに、とさえ思い始めていた。
「いや……いや……」
困らせてしまうと分かっていても、すんなり受け入れる事なんて出来なかった。
寧々は頭に手を当てて、駄々をこねるように首を振った。
「寧々……」
案の定、困ったような声を出す匠を、罪悪感に駆られながら見上げた。
「今まで、ありがとう。寧々のお陰で此処での思い出も悪い物だけじゃなかった」
「勝手にっ……終わりにしないでください!」
「終わりなんだ。さよならだ」
目を見つめて、ハッキリと言った匠の言葉が寧々の心に刺さった。
ズクズクと胸が痛い。
「寧々、元気でね。お爺さんの言うこと、ちゃんとききなよ」
琳士が寧々に駆け寄って、その体をギュッと抱きしめた。
「琳士! 匠さん! 絶対死んだりしないで! 会わないなんて言わないで……いつか……もっと、もっと時間が経ったら、会いに来て……」
寧々が琳士の背に腕を回した。匠が寧々の背に向かって腕を上げて、しばらく彷徨わせた後……自らの腕を掴んだ。
「そうだね。寧々が、おばあちゃんになった頃に、覚えてたら来るよ」
「覚えてて……忘れないで。早く来ないと、私、長生きしないからね」
寧々は、生まれた時は大きくなれないと言われたが、なんとか成長して、小康状態を保っているけれど、普通の人のようには生きられない。
「やめてよ。僕らに会いたかったら、ちゃんと摂生してよね」
「琳士も、ボーッとしてたら駄目だよ」
「うん」
「匠さんも……」
寧々が琳士の胸から離れて、匠を振り返った。
「無理しないでくださいね」
「ああ」
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