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出世の馬
それからの毎日は、寧々にとって、不安と寂しさと、悲しみで一杯だった。
何をしていても、何処へ行っても、頭の中は葉鳥兄弟で一杯になった。海岸近くて恐竜に襲われて亡くなった人のニュースを聞く度に、彼らは無事だろうかと、泣きたくなった。
しかし、彼らが居ない間も、時は流れていく。ギリギリの出席日数で高校を卒業し、語学を学ぶ大学に入学したのは、東南アジアのニュースを見られるようになりたかったからだ。
「お見合い⁉」
大学二年、二十歳になって数日、祖父に呼び出された寧々は、耳を疑うような話を聞かされた。祖父の座るデスクには、数枚の写真と、履歴書が置いてある。
写真に写るのは、お見合いなど必要なさそうな、精悍な顔をした軍服姿の青年だった。
「そうだ。この青年は、家柄も申し分なく、士官学校も首席で卒業、今は空軍に所属し海竜対策の戦闘機乗りだ。若手随一の実力で将来を嘱望されている」
(お爺様が誰かをこんなに熱く褒めるなんて、何事なの?)
寧々は、お見合いという話だけでも腰が引けているのに、いつにない祖父の様子に驚いた。
「お爺様、時代錯誤です。確かに、最近は再び婚活などでお見合い市場が活性化しているのはテレビでみましたけれど、私、このまえ二十歳になったばかりですよ。この、えっと……平さんもまだ二十四歳ですよ。まだ結婚とか、そういうのは……」
履歴書をみると、自ずと隣に並べられた三枚の相手の写真が目に入った。
(すごい整ったお顔。軍人役の俳優さんみたい……でも、常人にはない若者らしからぬ、落ち着きすごいなぁ、ちょっと怖いくらいの雰囲気。何かに…似てる……あっ!ちょっとお内裏様っぽいかも、すっきりとした艶やかな美形さんだ……この方、絶対にお見合いなんて必要ないと思う……むしろ、女性が寄ってきて困る男性では?)
「早くない! じぃに何か有ったとき、お前が一人になってしまうのが、心配で心配で堪らない。寧々には、一生金に困らないくらいの遺産は用意してあるが、そうじゃない、お前は一人じゃ心配でならない」
軍では、厳格な人として知られる男も、孫の前では違う。目に入れても痛くない孫娘を愛するあまり、心配症な只の祖父だった。
「お爺様、心配しないで、大丈夫です」
「大丈夫じゃない! お前は、綺麗すぎる。可愛すぎるんだ……その上、体も弱い…更には、じぃが死ねば資産は総取り……とてつもなく危なすぎる……」
祖父、皇成がデスクを拳で叩こうとして、止めた。孫を驚かせないように。
「お爺様、死ぬなんて言わないで。私、寂しです……でも、だからと言って結婚は飛躍しすぎかと……それに、私を可愛いと思うのは、それは贔屓目というもので、おじいちゃんというのは、孫が世界で一番可愛いく見えるだけで、世間的に言えば、私……そんなでもないですから大丈夫です」
(昔は、お爺様も琳士も私の事を可愛い、可愛いなんて言ってくれてたから、そんな気がしていたけれど……二十歳になったけど、一度だって男性とお付き合いしたことないし、告白とかされたことがない……)
「……寧々が世界で一番可愛い女の子だ」
「お爺様が世界で一番格好いいですし、大好きです」
ちょっと口うるさくて心配症だけど、寧々は祖父が大好きだった。両親が一度に亡くなって、甘かった祖父は、もっと甘くなって、自分の将来は大丈夫だろうかと、逆に心配になった。
しかし、忙しいのに、いつも気に掛けてくれている祖父の愛情は揺るぎなく、感謝していた。
(お爺様の言うことはききたいけど……こればっかりは……)
「それに、この見合いは、この男から是非にと言ってきている」
祖父の話を聞いて、寧々はピンと来た。
(この方は、結婚は出世の手段なのかな? 今でもあるんだ……政略結婚みたいなのとか、上司の勧めでとか……)
「この、平 詠臣は、本当に良い男だ。若いのに浮ついた所も無い、任務に真摯に取り組み、自らを高めていくことも怠らない。彼の飛行技術は、新人とは思えなかった。それに……会ったことがあると言っていたぞ」
「え? そう……なんですか?」
寧々は首を捻り、記憶を辿った。
「まぁ、とにかく会ってみなさい。会って、嫌なら強くはすすめない。他の男をさがす」
「お爺様⁉」
「再来週の日曜日だ、場所は相手の勤める基地の近くで、老舗ホテルの……」
寧々は、ため息を飲み込んで話を聞いた。
(会うことは決定事項なのね……もう、いいや。嫌われよう。ううん、そもそも私が出世レースの馬なら、嫌われようもないし……お断り前提の消化試合? あぁ……逆に申し訳なくなって来ちゃった……折角のお休みを無駄にさせてしまう……)
「わかったか?」
「はい」
祖父の話が終わり、部屋に戻った寧々はベッドに寝転んだ。
(匠さん……私、お見合いするらしいです……)
ゴロゴロと転がりながら、スマホに残る琳士と三人で撮った写真を眺めた。
実ることも、告げることも出来なかった恋心が、ムズムズと疼いた。
(きっと、匠さんなら、向こうで素敵な彼女がいるんだろうな……いて欲しいな、元気で幸せに過ごしててほしい……ちょっと嫉妬だけど……琳士は……彼女とか、似合わないな)
クスクスと笑いながら、起き上がった。
「そういえば、会ったことあるって……いつ? あんなに印象的な人、忘れそうもないけど……あっ! えっ……お見合いって何着ていくの? どうしよう……」
「と、いうことで、お見合いすることになっちゃったの。どうしたら良いと思う?」
「お見合い⁉ 二十歳で?」
寧々は、大学で知り合った友人、美怜に相談をした。美怜は、ハキハキと物を言う勝ち気な女性で、のんびりした寧々とはタイプが違うけれど気が合っていた。
「あんた、本当に何かズレてるよね」
「そうなのかなぁ」
「なに? 相手は凄い金持ちのオッサンとか? あんたの家、実は借金があって身売りされるの?」
美怜は学生ラウンジで、アイスコーヒーの氷をストローで弄びながら聞いた。
二人は他の学生の注目を集めているが、寧々は気がついていないし、美怜は気にしていなかった。モデルのように背が高くスタイルの良い美人の美怜と、物語のヒロインのように儚げな美少女の寧々は、この大学では知られた存在だった。
「違うよ、多分。借金とかじゃなくて。馬なの」
「馬⁉ 馬面の男?」
「そうじゃなくて、私が出世コースの馬なの。相手は多分、若い空軍のエリートさん。馬面じゃ無くて、お内裏様みたいな人だった」
「なにそれ! 出世欲の塊みたいな男なの? いいじゃん、私、そういう強欲なオラオラな感じ好き」
美怜が長い髪を掻き上げて笑った。寧々は、美怜の豪快に笑う笑顔に見惚れている。
「そうなの? 美怜ちゃんの今の彼氏さん、そういう人だっけ?」
寧々は、いつも美怜に振り回されている男性を思い出す。知り合って二年目だけど、美怜の彼氏はもう三回は変わっている。
「今のは、微妙。次が見つかったら別れる」
「また泣かれちゃうよ」
「とりあえず、顔が好きだったから付き合ってあげただけ、有り難く思って欲しいわ、って今はお見合いの話よ。で、寧々はどうしたいのよ。あの……なんだっけ初恋こじらせている……タクミだっけ?もう良いの?」
「良いとか、悪いとかじゃなくて、もう匠さんが元気で生きていれば、それでいいの」
「なんなのよ! いつの時代の女よ……まぁ、いいわ! で、その相手に気に入られたいの?」
美怜がドンとカップを置いて、テーブルに溜まった水滴をグリグリと潰した。
「相手が私と一緒に居て恥ずかしくないくらいに何とかなればそれで」
「オッケイ! 面白そう。相手が寧々と居て尻の穴が痒くなるくらいに仕上げてあげる」
「え? ん? ど、どういうこと?」
美怜の言葉のチョイスや、会話は、お嬢様学校をストレートに上がってきた寧々には翻訳できないときがある。
「いいから、いいから。買いに行こう!たのしー。素材が良いからメチャクチャ楽しい! 見てなさいよ、馬面。地元競馬と天馬杯くらいの格の違いを見せつけちゃるわー!」
着いてきなさい、と美怜が立ち上がり、慌てて寧々がその後を追った。
「かわいい……やばい、自分の腕とセンス、それから寧々の素材が怖い……これで落ちない男は心のティン子が乙女だわ」
「心のインコ?」
美怜プロデュースの寧々は、見る者をキュンとさせる出来映えだった。相手が堅物の軍人と聞き、とてもシンプルに仕上げた。寧々の小顔と華奢な体つき際立たせる少しオーバーサイズな黒のハイネックセーターにプリーツスカート、捲くと綺麗な形になるマフラー。足下はあえてヒールではなく、カジュアルさも出した。いつもはそのままの色素の薄いボブの髪の毛も、ゆるく纏めた。
「あんたの肌どうなってるの? 何もする前から透明感あるってなに? 前世クラゲなの?」
「外で全然運動とかしてないから?」
「もー、そこらのアイドルも女優も自信喪失するわ、よっ営業妨害」
バシバシと背中を叩く美怜に寧々が目を丸くしている。
「ネイルは、シンプルに綺麗にするだけでいいとは……指細いし爪の形綺麗だし、ポテンシャルが晋作か?バベルか! まじで、寧々がアタシと同ジャンルの美人じゃなくて良かったわ。自信持って行ってきなさい! この美怜さまをも脅かす美だから。馬男をヒヒーンさせて人参、成層圏に投げつけて来なさい」
「あっ……うん、馬男じゃないんだけど……とにかく、ありがとう美怜ちゃん。お陰で、今時の女の子みたいになれて嬉しい」
「可愛いかっ!でも、あんた残念ながら、全然今時じゃ無いから。どの世代にも愛される往年の正統派クラシカルだから。ほんと、現場までタクシーで行きなさい。辿り着かなくなるから、私なら数多のナンパもスカウトも屍越えていけるけど、寧々には出来ない。未来が見えるから。わかった? ホテルまでタクシー、店まで誰とも目を合わせない、リピーアフターミー、セイ!」
流暢な英語を話すことが出来る美怜が、カタカナ英語で寧々に詰め寄った。
「屍を越えて行く」
「そう!ってそこ?まぁ、楽しんで」
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