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招かれざる客
それからの日々は、とても息苦しかった。常にお互いが、お互いを意識しすぎて、ギクシャクしていた。
愛し合うことも、キスすることも、楽しく雑談することも無くなった。
(このまま、あと一ヶ月くらいで春が来て、詠臣さんはSDIに行ってしまう……それまでに、何とか関係を修復したいよ……)
何か良い案がないかと考えるけれど、思い浮かばない。
とりあえず、家に居ると何となく息が詰まるので、今日は外で食事でもと思って誘ってみた。勤務時間が終わった頃、了承するメッセージが来た。
「よ、よかった……」
喉に詰まっていたような息を、ほっと吐き出せた。仕事帰りにのまま車でピックアップしてもらう事になったので、寧々は支度を急いだ。
寄り道などしない詠臣は、大体、同じくらいの時間に帰り着くので少し早く部屋を出て、エントランスで待つことにした。
戸締まりを確認して、玄関の姿見で、緩くアップした色素の薄い髪を直した。少しでもよく見られたくて、今日は何時もより、ちゃんとお化粧もしたし、アクセサリーも付けた。離婚届を突きつけられるもの時間の問題かもしれないから、無駄かもしれないけど。
「よし」
コートを羽織って、鞄を持ち、玄関を出た。
「……こんばんは」
少し離れたお隣の玄関の横の壁に、見知らぬ男性が背中を預けていた。とりあえず、目が合ってしまったので、鍵を手にしたままペコリと頭を下げて挨拶をした。
何となく見たことがある。年の頃は五十代くらいだろうか。目つきが少し怖かった。
背は高く、服装は少しくたびれているジャケットに着崩したワイシャツとズボンだ。相手から返事がないので、早く此処から立ち去ろうと思って、家の鍵を掛けようと相手に背中を向けた。
「なぁ、お嬢ちゃん。薄情だな、覚えてないのか?」
「きゃあ!」
少し離れた所にいた男が、いつの間にか背後に立って寧々の手を掴んだ。そして驚く寧々を引き寄せると、勝手に家の玄関を開いて、寧々を押し込んだ。
「やぁっ」
玄関に投げ捨てられた寧々は、廊下に倒れ込んだ。打ち付けた肘や、膝が痛かったけれど、今はそれどころではない。
(強盗⁉ それなら大人しく……でも、覚えて無いかって……)
倒れ込んだ姿勢のまま相手を見上げた。男は家の鍵を掛けると、ニヤニヤと寧々を見下ろしていた。
恐怖で心臓が早まり、呼吸が浅くなった。自然と手が震えだした。
(何処かで……会ったことがある気がする……でも、思い出せない……)
「よく家に、遊びに来ていただろう?」
「……」
(家に? 遊びに?)
恐怖と驚きで、上手く頭が働かないので思い出せない。どうやって逃げたら良いかばかり気になってしまう。
「葉鳥のおじさんだよ」
男は、腰を曲げて、笑いながら寧々に顔を近づけた。ニヤッと笑った顔の歯が欠けていた。鼻も歪んでいるように思える。
「っ⁉」
(匠さんと、琳士のお父さん! えっ……もう出所したの⁉)
目の前にいるのが、殺人罪で服役していた男と知り、思わず恐怖で後ずさった。
二人の父親、葉鳥仁彌(はとりじんや)は昔から苦手だった。高圧的で、家族に対して暴力的な父親だった。何度、二人の体に痣があるのを見たことか。
「随分と綺麗なお嬢さんになったな」
「……や」
仁彌の手が寧々の頬を強く掴んだ。自分の妻を殺した手だ。
寧々は、怖くて上手く呼吸が出来なかった。
「晴れて出所の日を迎えたっていうのに、息子は二人とも迎えに来ないし、家に行けば取り壊されてる……まったく困ったものだ。人を雇って探させても、全然見つからない。俺は、アイツらが金を返してくれないから、酷い目にあったんだぜ……今もな」
あんな事をしておいて、息子二人が迎えに来ると思っている、その思考が寧々には全く理解できなかった。それに自分の身勝手な借金をなぜ、二人が返すと思っているのかも。理解出来なすぎて怖かった。
「で、あんたなら、二人の居場所を知ってると思ってな」
仁彌の腕が寧々の腕を掴んだ。痣が出来そうなくらい強く掴まれて、痛い。
「あんたが結婚してるって知って、相手は匠なんじゃないかと思ったら、全然違ったな。可哀想だなアイツ。あれか? やっぱり殺人犯の息子は嫌だったのか?」
何が楽しいのか、仁彌はケラケラと笑っている。その様子はどう見ても普通じゃなくて、さらに恐怖を煽られた。
そして寧々は、掴まれた腕を引かれ、その場に立たされると、玄関の壁に乱暴に押しつけられた。
「んっ……」
衝撃で体を強ばらせて、ギュッと目を瞑ると、仁彌の肘が寧々の首元を圧迫してきた。
「……はなして……」
痛みと苦しさで、なんとか相手を押し返そうとするけれど、びくともしない。
「まぁ、そりゃ、そうだよな。殺人犯の息子で借金取りに追われるような男より、空軍のエリート様の方が賢明な判断だ」
仁彌の目は寧々に固定されず、落ち着き無く、キョロキョロと彷徨っている。
「……そういうんじゃ……」
「で、今あいつらは何処にいるんだ?」
「知りませ……やあっ!」
寧々の返答が気に食わなかった仁彌は、寧々の首を圧迫していた肘を払うように、寧々を床に倒した。受け身など取れるはずもなく、寧々は再び床に倒れ、シューズボックスの角に頭を打ち付けた。
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