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今まで……
今の匠には、有無を言わせない、人を従わせる何かがあった。以前はカリスマ性と悲劇的な暗い影のある青年だったが、今は、支配力のある闇を感じる。
「俺は、お前が暴力を受けるなんて許さない。此処に居ろ。あの男から守ってやる」
匠の手は寧々の肩に添えられているだけなのに、とても重く感じた。
「ちがっ……違うんです!」
寧々は、匠から目を逸らして首を振った。
もっと、言いづらくなってしまった。まさか、今更、二人の父親にやられたなんて言えない。
「詠臣さんは、とっても優しい人で……」
「あの親父だって、外からはそう思われていた。人間の中身なんてわからない」
匠が吐き捨てるように言った。
「戦闘機に乗って、海竜を殺しまくってる奴が心底まともか? 経歴を見ても、周囲の評価を聞いても、ひとつも影がない、人間らしさがない」
「寧々、心配しないで。もう俺達、何も出来ない子供じゃない。今度は寧々の力になりたい」
琳士の大きくて温かい手が背中にそっと当てられた。
「本当に違うの! 私、暴力なんて受けてないよ」
このままでは詠臣さんの名誉に関わる。焦れば焦るほど、良い案は浮かばない。
そして、寧々が落ち着きなく否定すればするほど、二人の顔も険しくなった。
その時、寧々のスマホが鳴った。
「っ!」
寧々のスマホは、肩と右腕を怪我しているから、何度も操作中に落として、画面にヒビが入っている。それから扱いやすいようにと、詠臣が首から下げられるようにしてくれたのだけれど、正直、ちょと重い。折角の好意なので必死に隠したけれど。
だが、それが、徒となった。寧々の胸元で光り輝きだしたスマホは、詠臣からの着信を匠に知らせた。
「あ、ちょっと……電話に出ても?」
「貸せ」
匠の傷だらけの大きな手が広げられた。
寧々がスマホを握りしめて、首を振った。
(きっと、詠臣さんの誤解はまだ解けてない! 匠さんが出たら、絶対にややこしい事態になる)
「え、詠臣さんは、本当に私を殴ったりしないんです!」
「分かった」
「……本当ですか?」
「あぁ、お前の迎えに呼ぶだけだ。場所を伝える」
「絶対ですか? 嘘じゃないですか?」
匠が片方の口角を上げて笑い頷いた。その間もスマホは鳴り続けている。
寧々が病院から戻ったかどうか確認する電話だ。軍内部の人間も寧々が暴漢に襲われて怪我をしているのを知っているため、日に何度か連絡するのを許可されているらしい。
「……」
寧々から首掛けストラップのスマホを受け取った匠が、眉をしかめている。
「お前……スマホ買う金もないのか?」
「おじいさんの遺産は? まさか……」
二人の不信感が表示されている詠臣の名前に向かっている。
「え? あ、買いかえる時間が無かったの。それにまた直ぐ割れちゃうと思って」
退院してドタバタと、この島にやって来た。後で現地の周辺の国で買えば良いかと思っていた。
匠の指が、寧々のスマホの画面をスライドさせた。
『寧々、どうかしました? まだ部屋に戻ってないのですか?』
詠臣の何時もより焦った声が聞こえてきた。あの事件以来、本当に心配症が悪化している。
「え……んっ」
寧々が答えようとしたら、琳士に後ろから口を塞がれた。何で? と後ろを振り向いている間に、匠がスマホを持って歩きだした。
「寧々は……お前の所には、もう帰さない」
匠の言葉に寧々がギョッとした。
「んー! そ、つき……匠さんの…んー‼」
寧々は、匠さんの嘘つき!と叫びたかったが琳士の手が邪魔で上手く言えなかった。
スマホから詠臣の怒鳴るような声が聞こえてきたけれど、匠の手で通話が切られた。すると、琳士の手も離れた。
「そんな……どうしよう!」
寧々は頭を抱えて、その場にしゃがみ込んだ。
(また、詠臣さんに、いらない心配と迷惑を掛けちゃった! きっと今頃、凄く心配して私を探そうとしているよね⁉ 今度こそ愛想を尽かされてしまうかも……)
「私、帰らないと!」
寧々が立ち上がり、ドアの方を向くと、匠が怪我していない方の腕を掴んだ。
「帰さないと言っているだろ」
「今ごろ、詠臣さんが心配してます。探し回る前に帰らないと!」
「探す必要も無いだろう」
「え?」
もう、そんなに嫌われているのかと、ドキッとした。
「お前のスマホ。高性能なGPSが入っている。監視もされてるんだろ?」
「そんなの……入って……」
無いとも言い切れなかった。居場所特定するアプリは国内だけだと思ってたけど、此処に来るのに違うのにしたのだろうか。そういえば、入院中の最初の数日はスマホは無かった。寧々は首を捻った。
「寧々……向こうに行ってろ」
匠が奥の部屋を示し、寧々の手を引いた。
「待ってください! 本当に、本当に詠臣さんじゃないの強盗なの」
「寧々……それは、直接アイツに聞く」
「やめて下さい! 私……これ以上……詠臣さんに、嫌われたくない……」
思い詰めた表情で涙を浮かべる寧々に、匠の表情が陰った。
琳士も痛ましい顔で寧々を見ている。二人にとって何より大切な存在が、誰よりも幸せになってほしい人が、こんなにも軽々しく扱われていたとは予想外だった。
「寧々、とりあえず座って、ね、兄さんも」
琳士が寧々の前まで椅子を持ってきて、そこに座らせた。
「……」
ため息をついた匠が、寧々の斜め向かいに椅子を置いて座った。
寧々は、この空気をどうにかしたくて、何か他の話題を探した。
「あの……そうえいば、さっき、慰霊碑をみたんですけど、どうして匠さんの名前が?」
「ここでは、日本から来た階級もない一般兵では何も出来ない。こっちの奴らと此処を変える為に手段は選んでない」
「……キエト少佐の論文読みました。書いて有ったことが匠さんが昔、話していたことだったから……一緒に研究している人かと思いました」
「お前、なんでそんなの読んでいるんだ」
匠が呆れたように寧々を見ている。
「二人がこっちに来てから、毎日、SDI周辺の国のニュースを見て、語学の勉強をしました。色々調べるうちに軍事用語にも詳しくなって、ちょっとお仕事にも繋がってます」
「そうか……」
「凄いね、寧々。俺ずっとここに住んでるけど、未だに言語に困る」
壁に寄りかかった琳士が手を叩いている。
「私は琳士が、ちゃんとお仕事出来てるのが凄いと思う。あんなに起きられなかったのに」
「寧々に貰った目覚まし、まだ現役だよ。此処だと朝から近所が五月蠅すぎて寝てられないんだよ。この辺は集団生活できない兵士ばっかり集まってて、朝から大声で歌うやつとか、騒いでるのとか多いんだよ。世界各国の美味しい匂いがしてくるし」
「お前は食い過ぎだ。最近は内勤ばかりだから、あっという間に太るぞ」
「酷い、兄さん。自分でも、トレーニングしないとヤバいって思ってるし」
琳士が口を尖らせて文句を言っているのを見て、寧々は涙が浮かんできた。
再び、こうして三人で話が出来るのが嬉しかった。
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